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第22回・ベストセラーはそのままで

前回、なんかかかんでもよいようなことをグダグダと書き連ねてみた。

「大河ドラマ」など、「原作」があるのに、それに沿わない。原作に惚れ込んでいた人ほど、それに対する怒りは大きくなるだろう。原作を知らない人にとって見れば、まったく不都合ないことなのに。でも、その「原作」のイメージが崩れることになるのは事実である。そのドラマに感動して「原作」を読んだら、それとはまったく違っていてびっくりする、というのは多いことである。ま、実際にはドラマにはなかった感動が多くめり込まれていることが多い。私が、数年前にTBSで放送された司馬遼太郎原作の「竜馬がゆく」を見たときもそうだった。当時まだ原作を読んでいなかった私にとって見れば大変面白いものだったが、原作を読んだ友人にとっては大変不愉快だったらしい。事実、私も原作を読んだあと、再放送があったので見てみると「何か違うぞ」と違和感を感じれずにはいられなかった。

まだ「歴史小説」の場合ならいい。問題は「時代小説=伝奇小説」を原作にしたときだ。

そもそも、歴史者の小説はまとめて「歴史小説」とか「時代小説」といわれることが多いが、実際には史実にあった人物・事件をそのまま小説に、伝記のようなスタイルで物語化するのを「歴史小説」、歴史の舞台を使って作者の設定で物語を展開させていくものを「時代小説」、又は「伝記小説」と分けるものらしい。

私は以前隆慶一郎氏の「見知らぬ海へ」を取り上げた。しかし、その後も隆氏の小説を読みつづけていくと、なんか、私の時代小説の偏見があっという間に取り払われてしまった。隆氏の作品を読んだ人のその作品、物語に対する愛情は強いと思う。

そんな、隆氏の作品がテレビドラマ化されるという。それでもって、驚くべきことに「影武者・徳川家康」だという。テレビ朝日系の「ベストセラー時代劇」の第四弾だそうで、私にとってみれば「功名が辻」の原作離れの印象が強い。そこで、念のために小説の「影武者・徳川家康」を今、取り上げてしまうのである。

私がこの作品を読んだのは「時代小説の愉しみ」の後。はっきり言えば、「影武者家康関ヶ原死亡説」というのが好きになれなくて、あまり読む気はしなかった。ところがいざ読んでみると、知らず知らずのうちに私は作品に酔ってしまったのである。「先がどうなるか分からない展開」こんな展開で面白くないわけがない。私は、島左近生存説は半信半疑だったが、風魔一族は風魔小太郎が江戸で懸賞金をかけられて捕らえられ、それっきりだった、と思いこんでいた。しかし、氏の小説ではうまく作品中に登場している。第9回のときに私は「次に『影武者徳川家康』を読んだのだが、これまたぶっ飛んだ。この本の読後、徳川秀忠に対する見方がかなり広くなってしまい『読んだ事を後悔した』と思ったくらい影響力ある作品だった。」と書いている。私の秀忠感もついつい変わってしまったのは、今製作中の「戦国時代人物名鑑」の徳川秀忠の部分を読むと自分でもわかる。思わず苦笑してしまう次第だ。

隆氏の作品を読み進めていくと、そこには共通のものがある。でも、私にはそんなことを書いていく資格がない。そう思わせるほど素晴らしい作品なので、普通の小説に飽き足らない方はぜひどうぞ。

こんな作品で「原作破り」なんかしたらどうなるか分かったもんじゃない。

あと、お詫び。今日はなぜかキーボード進みが悪い。打ち間違えるは、文章もよどむはと散々である。ある程度の誤字はお見逃しいただきたい。文章も今日はまさしくわやくちゃで、まとまもな紹介にはなっていないが、大変申し訳ない。MS-IMEがこのところバカなので困る・・・

富士通キーボードにいらつく筆者

DATA:隆慶一郎、「影武者徳川家康」
(初出:「戦国メディア市・第22回」1998.4.4)


第19回・野望を超す立志

ああ、このソフトを探すのには苦労をしたなあ。まあ、「MACHIDA PC MAP」作者なわたくしが、まだ、ショップ廻りFanだったような頃、町田、横浜、新宿と探し回って、最後の秋葉原のラオックスのザ・ゲーム館でやっと発見したという代物なのだ。そのゲームとは「太閤立志伝II」(以下「太閤2」とさせていただく。ローマ字数字になっておらずにアルファベットIが二つになっているのは文字化け防止のため)

え、なぜそんなメジャーゲームを探すのに苦労したのかって? 実は、年末キャンペーン中の「光栄ゲームデモ集・EGWordピュア・光栄壁紙集」などが入ったスペシャルCD付きのを3月に入手しようとしたからなのだな。はははは。でも見っつけたもん。

さて、家に帰ってから早速インストールしたのだが、はっきり言って「大ハマリ」だった。まさしく口半開きって感じだったなあ。まあ、初代・太閤立志伝は、スーファミ版でのプレイ(戦闘シーンなどは98版より良かったと思う)だったのだが、やっぱりパソコン版は奇麗やねーと思いつつ、飯と風呂以外はなんだかんだいって15時間ぐらいぶっ続けでやってしまったような気がする・・・若かったねえ。もうね、もうね、なんか過ごすぎよ、秀吉の、というよりは戦国時代の下級武士の生活がじわじわと実感できてすげーいい。もうべた賞めですよ、これは。はっきり言えば、同じ光栄の「信長の野望」シリーズより面白いんじゃないでしょうか?と私は思う。まあ、個人的な好みはあるだろうけど。もう、すべて良くて何から誉めていいかわからないくらいだ。まあ、先ほどの「生活実感」もありますが、その他に「太閤2」のいいところ、一気に行くぞ~~~

  • 主命が面白い。米を相場を使って金もうけ(お家が)なんて「覇王伝」以来だ。
  • 「自分の能力を上げる」というのがいい。自分を鍛える。ああ、なんて素晴らしいんだ。
  • 「太閤1」と違い、城主になる前でも家臣が持てるのはいい。小一郎(豊臣秀長)を最初に家臣に迎えられるなんて幸せ。
  • 戦闘の策略が多くてこれまたいい。石落としたり、掘り埋め立てたり、建物火つけたり、敵を騙したり、伏兵になったりいろいろできるのが「信長の野望」と違って面白すぎだ。
  • で、程よく史実に合わせてイベントが起きてくれる。墨俣に城建てたり(考えてみれば今後削られる運命か、このイベントは)、岐阜へ移ったり・・・いい、いい!
  • 家に帰ればねねが居る、家臣も居る、ああ、「らしい」よね。
  • 城主・大名になると家臣使いが又面白い。
  • 千利休と飲む茶が又うまい。

といったところか。ほかにもありそうだけど。まあいいや。

でも、これだけいいとこあると返って少しでも良くないところがすっごく目立ってしまうのだよね。例えば・・・

  • リアルタイムの戦闘、慣れればそこそこ面白いのだが、それでもボタン反応がなかったりして×
  • 剣による戦闘、せっかくど真ん中に当てても外れになることがあるのはちょっと。
  • 主命も「部将」レベルになるとマンネリだ。

こんな感じですっごく目立つのだよ。

「太閤2」からは秀吉でコンプリートすると明智光秀・柴田勝家、それに自分で作った武将で始められるのがいとをかしって感じだよネ。実名プレーで天下を取る事だって出来てしまう訳だろ。こんないい戦国ゲー他にあるか? まだやったことがない人はWindows95版も出たことだし、パソコンショップへGo!

本格的ネタ切れな筆者

DATA:光栄、太閤立志伝II
(初出:「戦国メディア市・第19回」)


第21回・テキストにするのはなんですが

 今回は前回、「影武者徳川家康」を取り上げる、と書いたのを反故にして、違うのを取り上げることとする。「影武者~」は次回です。次回といっても更新は4月4日なもんで。

 今回取り上げるのは次回につながっていく。そう、あくまで前振り、「だし」にすぎない。

そもそもこの「戦国メディア市」 おかげさまで20回を超えることができましたが、大体においては「私がいい、と思ったものを紹介する」という形式のものと、「私が『コリャだめだ』と思ったもを批判してそのメディアの製作した人に次こそはいいものを、とねがう」形式の二通りに分かれるんだと思います。大体は前者のほうが多いと思います。しかし、後者になったメディアとしては「テレビ」の時代劇ばっかだったと思います。特に第2回のアレは当コーナーの存在意義を決め付けたかようなものだったようです。自分でもよくはしらんが。

 そして、今回取り上げる作品は「時代劇」だったりします。それも今年(平成10年)3月25日にTBS系列で放送された「ドラマ特別企画・織田信長」です。サブタイトルに「天下を取ったバカ」とありましたがこれについてはいいも悪いも言いません。個人的には理解できるけど。

当戦国メディア市では時代劇に対し、第15回においてある程度吹っ切れた宣言をしました。しかし、今回は そんな甘い解釈抜きで考えていこうと思っています。

 このドラマ、はっきり言えば戦国系時代劇においては合格及第点だと思います。しかし、ちらりちらりと見えてくる「あら」が、まさに今の時代劇そのものだと思うのです。このドラマは当初、織田信長が木村拓哉でいいのか、という不安の声が多かったと思います。しかし、大体においてドラマに出る俳優さん方はみんな「プロ」なわけですから、演技はその人物に対して自然でなければいけないのです。その点では桶狭間以前の信長を書いたこの作品、「キムタク」がうつけ信長にある程度までマッチしていてよかったのではないかとは思っています。ミスキャストというのはその俳優の演技にではなく、あまりにも「イメージからかけ離れている」場合のことを言うのだと思っています。ある程度までは許さないと、そんなにイメージに合う俳優がいつもいるわけじゃないですから。

しかし、私が問題にしたいのは以下のことなのである。

  • 清洲城が彦根城、勘弁せれや

     大体においてこの天文年間において城に豪壮な天守がある。これはどうにかならないのだろうか? そう言えば某他局のドラマでも明暦の大火で天守がなくなった江戸城に対し、姫路城天守を映して江戸城とぬかす。これぞまさしく城=天守という日本人の間違った感覚ではないだろうか。ああ、見る側にあわせるのがプロなんだろ、そう思うが、実にイヤだ。そうして城は観光名所。長浜城レベルはともかく、墨俣城、とか、千葉城とか、「復元天守」でなく「模擬天守」はなんとかならんかね? 歴史を偽っても金が欲しい。大人の世界はこれだからイヤだ。反吐が出るわっ!(苦笑)

  • 同じく、史実を歪めて何が楽しい?

     TBSの時代劇は最後が強引な展開になることは経験的に知っていたが、「正徳寺の会見」のあと即刻「稲生合戦」、そしてすぐに信行暗殺。1553年から1557年まで、6年間の出来事を推定一週間にまで縮めてまさしく「ご苦労様でした」 だいたい、もし正徳寺から信長が帰って来てたら洒落にならんぞ、織田信行。土田御前がそう諌める家臣に対し、「お黙り」と一喝していたような覚えがあるが、まだ斎藤道三は生存中だ。そんなことをしてどうするんだ。ドラマ的には「このときはまだ息子義龍に討たれるとは知りもしませんでした」とかとナレーション入った気がするが、はっきり言って「無茶しすぎ」だ。何? 時間的に足りなかった。そんなのは言い訳にならないと思う。

     まあ、この他にも「鉄砲と出会った当初から『三段撃ち』を信長が考えてきた」とか気になる点はあるけど、今回はこれだけ。

     ところで、織田信秀が林通勝(秀貞)に暗殺されていて、しこりとして残った人も多かっただろう。しかし、私はこう言うのは歓迎する。先の大河の毛利隆元暗殺とか、そう言う「異説」はいいと思う。証拠はないレベルまでなら。

     結局、おそらく『キムタク効果』で、視聴率も21.8%だとかだったそうだから、影響力が心配なわけだ。だから、「どうでもいいこと」に少しくらいはこだわって欲しいと思う。

    とはいえ、このドラマはこう言う欠点をカバーして信長のうつけ時代の生き様がうまく描かれていた。だのになぜ私はあえてここまで描いたのか。それは、次回書くこととする。



    結局見入っていたのは事実の筆者


    DATA:TBS、「ドラマ特別企画・織田信長」
    (初出:「戦国メディア市・第21回」1998.3.28)