「完全戦国年表」のコンセプトについては、「完全戦国年表について」で触れている。
『完全戦国年表』の名前について
当時中学生だった私は、どの戦国時代の年表を見てもせいぜいその出来事が起こった月までしか載っていなくて不満でした。「なら自分で作っちゃえ!」と思って作ったのがこの「完全戦国年表」です。
加えて、何かに打ち込みたかった個人的な背景についても、完全戦国年表10周年特別企画で書いたことがある。
ここにきて、過去一度も書いていないことがある。それは、「なぜウェブサイトとして完全戦国年表を公開することにしたのか」である。
じつは、ここはあまり深く当時のことを思い返すことがこれまでなかった。あたかも単独サイトして公開することが当然、というテイなのだ。
だが、姉妹ページ「MACHIDA PC MAP」が当初は別途構想していた個人ページのいちコンテンツの位置づけだったにもか変わらず、「完全戦国年表」は当初から独立したコンテンツとして取り扱うことが定められており、待遇の差が当初からあったのである。
当初の「日付まで入ったコンテンツがあまりない」という思いがあり、そのコンセプトを押し出した流通物が欲しかった、という思いは確かに念頭にあった。時を同じくして(?)、クロニック戦国全史が出版されたのではあるが、公開としてはそのまま行われている。
……今になって、公開した当時のことを考えると、以下のような要因があるのではないかと考えられる。
戦国時代を総合的に扱ったサイトが少なかった
当時はGoogleもなく、ロボット型サーチエンジンも貧弱だった。よって、Yahoo!が圧倒的に強かったのであるが、戦国時代自体を扱うサイトよりは、日本の城を扱うサイトが先行し、さらに武将に特化したサイトの方が先行していた。このことは、「戦国ホームページ界隈余話」でも詳述する。
当時の個人ホームページの風潮として「趣味の発信」が言われていた
「完全戦国年表」と「MACHIDA PC MAP」は、個人ホームページと離れた指向性をもつのではあるが、公開されていたのがASAHIネットサーバであり、ISPの個人ホームページサービスで2コンテンツ同居する形であった。いろんなサイトにはそれぞれ単独でのリンク、登録をお願いし営業活動をしていたが、個人サイトとしてまとめるページも置くには置いていた。個人が興味ある内容を書く、しかも趣味でというコンセプトは脳裏にはあったのである。
雑誌の影響
中学生ではあったが、アスキーのログインにおける戦国時代の連載ページ、光栄のゲーム書籍など、市井の書店で手に入る歴史書籍(学研の歴史群像シリーズや、新人物往来社の書籍)を参考文献にした歴史コンテンツというのには慣れ親しんでいた。同レベルの内容を自分でも書く、ということがリファレンスとしてはあった。戦国武将を語ったり、城について紹介したりである。コンテンツとしては同レベルの同好的ネタ話というところにあった。
単に、ウェブサイトとして公開したかった
じつはこれが最大要因かもしれない。HTMLを書いて、ホームページを公開するということがとにかくしたかった。内容は何でも良かったのだ、ということである。そのために、Wordで作っていた戦国時代の年表というのは、お手軽にウェブサイトを作り上げるのにお誂え向きだったのだ、ということである。
げんに、MACHIDA PC MAPも、コンセプトは(当時既にインプレスサーバに移っていた)秋葉原マップの二匹目のどじょうだし、クリッカブルマップを使うという要素も全く一緒なのである。
この「Web技術を試すことが先、歴史のコンテンツは後」という立ち位置は、完全戦国年表をはじめとするmerkmark各サイトに今もある程度受け継がれており、何より私自身の人生にも影響があったのではないか。歴史がメインなのではなく、ウェブサイト運営のほうがメインなのだ。ただ、歴史をコンテンツとして扱うことは重要なことだと考えており、続いているのは扱う内容が歴史であるからという面はある。理由が一つでは物事は長続きしないのだ。
Web技術の実践が主、歴史は従……このことは本稿を書くまで自分も言語化出来てこなかった事実である。