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青森県岩崎村・十二湖へ行く(2)

十二湖・白神山地

(昨日のエントリ「青森県岩崎村・十二湖へ行く(1)」より続く)
そうこうしているうちに、目的地の青池へと到着した。本当に青い。…いや、季節がらブルーというわけではなく、どちらかといえば藍色で、ところによっては完全に透明なのだが、それでも神秘的な池であることには間違いない( 昨日のエントリの写真を参照)。しばし見惚れる私たち。夏には本当のブルーの池が見られるのだそうだ。
観光駅長さんがご同道した女性連れの記念写真を撮影されている間、役場の女性からお話をさらに伺った。雪が解ければ33湖めぐりのトレッキングもあるらしく、夏には是非にとお誘いを受けた。一つ一つの湖に個性があり、見ていて飽きないのだという。印象的だった言葉は、「地元の私が見ても感動できる。見るたびに湖が違う」 観光に従事する者、その観光の対象となり得る土地を愛せざれば、辛い思いをして豪雪の雪かきなんか出来ようか。雪の残るブナ林という大自然にも感動したが、地元が一丸となって来た人に感動してもらおうというそのプロ魂にはもっと感動した。自然を見に来て、ひとに感動するとは、思いもせなんだ。
青池を十二分に堪能して、もと来た道を戻ることになった。指摘されて、私は木の芽吹きに気がついた。まわりは未だ雪だらけで、コートがあってちょうど良い寒さだったが、生命の息吹が神秘な自然を震わし、私たちのこころをほんのりあたためてくれた。
バスの終点から少し十二湖駅よりへ行ったところには茶屋があり、そこでお手前を頂くこととなった。「ここの水がおいしいんですよ」と観光駅長さんに薦められ水を飲んでみる。旨い。味がしない系のピュアな水で、全く水系が汚れていないことが窺える。やがて干菓子が出され、そのうち薄茶が出された。……非常に美味しい。私が頂いてきたお抹茶では、過去1番の味だった。。「自分で点てて飲むこともあったんですけど、それに比べて全然美味しいですね」と言うと、「お茶をやるんですか?」とびっくりされた。私たちは、しばし大自然の中での安寧に身をおいた。
観光駅長さんが「水の流れる音がいいですね」と言う。眼を閉じればひんやりとした森の懐に抱かれ、水のせせらぎが心地よい。吹き抜けるやや冷たい風と、かわいげなるせせらぎの音が、日々の不愉快な雑念を洗い流してくれるかのようだ。そして、この頃には、この若い女性観光駅長さんの人当たりの良さに感動していた。優しく、親切、そして地元の人たちに愛され、この仕事を一生懸命こなしていこうというひたむきさが、私の心を打っていた。そういった、自分より若いであろうプロ意識の高い人に出会えたことが、なんか光栄のように思えていたのだ。
深浦町役場の方、観光協会から来ていらっしゃるという観光駅長さん……ひとを直向にする大自然があるのだとも言えようか。
十二湖駅へと戻る途中、案内されて「日本キャニオン」をみた。日本とは思えない、日常をはるかに超越した大自然がそこには展開されていた。私は雄大な自然に、普通に感動してしまった。今度は泊まりで来てください、と誘われつつ、雪も残っていない十二湖駅へと戻ってきた。
昔、白神山地は正に人間と自然の共生の場であった。世界自然遺産登録で制約もついたが、その分、観光の芽はさらに出ることとなった。とことん商業化して大勢を呼び込むことが出来ないのが、大自然観光スポットの辛いところだ。しかし、その苦難を撥ね退け、迎え入れた客人が愛する古里である神々しき自然に共感されんことを真摯に願い、信じる情熱がある。ひとをそこまでさせる場所が、ステキでない筈がない。
役場の方は、この十二湖の素晴らしさをWebに上げていきたいともおっしゃっていた。ふと自宅に帰ってから調べてみると、深浦町には合併前も後もWebSiteがあるのだが、旧・岩崎村は間借りのかたちの公式ページだったようだ。今回、タイトルを敢えて「青森県『岩崎村』・十二湖へ行く」としたのは、今まで十二湖を盛り立ててきた岩崎村という存在をWebに遺しておきたくおもったからだ(深浦町の観光課の方も、もとは岩崎村に勤めておられたようだ)。まずは、感動を自分のSiteに遺しておくべく、2回にわたって旧・岩崎村、今の深浦町にある十二湖探訪記をここに掲載した。
Uターンしてきたリゾートしらかみ3号は再度十二湖駅に停車した。私が乗り込むと列車は十二湖駅を発車し、観光駅長さんは笑顔で私たちを見送ってくれた。
さて、リゾートしらかみ号はここからもお祭りだった。列車は千畳敷駅で10分ほど小停車した。千畳敷駅を降りるとすぐ、珍しい岩場の海岸が列車客を迎えてくれる。千畳敷の異風景は私を悦ばし、海の香りは心にゆっくり染み込んだ。鯵ヶ沢を過ぎると、海沿いでない区間を走る。それでも、まだ白銀の大地に聳え立つ岩木山に映える夕日が美しかった。津軽三味線演奏もあり、最後までお祭り列車だ。
日本全国、鹿児島から北海道まで見て回ってきたが、ここまで魂が揺さぶられた土地はなかった。青森県深浦町、十二湖は、100%人に薦められる場所である。東京からなら、東北新幹線「はやて」で八戸まで行って特急「つがる」で弘前から、あるいは秋田新幹線で秋田まで行って、そこから「リゾートしらかみ」号に乗るのが手っ取り早い(実際、東北新幹線八戸開業の時に「はやて」宣伝でJR東日本が行なった北東北の大プッシュと、「リゾートしらかみ」号の創設後、客数は増えたのだそうだ)。十二湖駅で降りれば、凛々しい観光駅長の心温まる出迎えがある。車で行くのも、美しい海岸沿いの道をドライブできそうだ。泊まりなのであれば、今度は車で行ってみたい。
ふと思いつきで立ち寄った場所で、インスパイアを受けること。これがあるから、旅はしなければならないなと思う。


青森県岩崎村・十二湖へ行く(1)

十二湖・青池 秋田・青森旅行の続きを書きたい。
秋田市街を思う存分歩き回り、久保田城跡も見て回った私は、今回第2の目的地・白神山地へ行くこととした。すでに秋田-弘前の五能線・奥羽本線2日間乗り放題のきっぷ「五能線パス・タイプA」を買っており、秋田地鶏の駅弁を物色しつつ、「リゾートしらかみ3号」に乗車した。気動車だが、車内は大変にゆったりしたつくりで快適そのもの。ただ、日曜日だというのに思ったほどの混雑率ではなく(20%を超える程度か)、当初指定券が取れていたボックス席でも相席にならずに済みそうな感じだった。
なにはともあれ列車は発車し、秋田をあとにした。八郎潟のあたりから暫く眠り、起きたら東能代。ここで数分停車するそうなのでさっそく降りてみたが何もない。奥羽本線から分かれて五能線に入った次の能代駅には駅前にサティもあり、こちらが市街のようだ。能代駅には秋田杉の小片が置いてあり、自由に持ち帰って匂いを楽しめるようになっている。バスケの街で、1号ではバスケ体験も出来るアトラクションがあるらしい。
能代駅を出てしばらくすると、海沿いを走る五能線らしい風景が広がり始める。これを求めて五能線の乗りつぶしに来たのだ。絶景では徐行して走ってくれる。さすが、企画モノトレイン。
あきた白神駅を過ぎ、青森に入る。私は白神山地の自然を求めて、十二湖駅で降りることにした。リゾートしらかみ用の観光ガイドを見ると、なぜか湖面が青い「青池」やブナ林を間近に見ることが出来るところのようだ。十二湖駅で降り立ち、1時間40分後にリゾートしらかみ3号はUターンして戻ってくる「蜃気楼ダイヤ」なる編成になっており、私は束の間の森林浴を楽しもうと思ったわけだ。
駅を降り立つと、駅員の格好をした若い女性に迎えられた。「あれが噂の観光駅長か」…リゾートしらかみが走る五能線沿いの駅には、女性を「観光駅長」として起用し、駅に配して観光案内をさせているようなのである。駅から出ようとすると、その観光駅長が先回りして「きょうはどちらへ?」と、笑顔で観光ガイドを渡してくれた。
その日はたまたまマスメディアの取材が来ていたようで、青森県西津軽郡岩崎村――既に合併して新「深浦町」となっていたが――の観光課の女性の人、それから観光駅長さんと特別にご一緒する機会を得た。青池行きバスに乗り走り出して2分もすると、駅前にはなかった雪が残ってる残ってる。道も狭い。バスの中では、「十二湖」といいつつ実は33あるという湖のいくつかがバスから見えてきたが、その都度運転士がアナウンスで解説を入れる。かなり親切だ。
バスは終点に着いた。ここから先は歩いていかねばならない。ここで地元の人から「長靴でないといけないよ」とアドバイスがあった。「あちらに長靴がありますから」と、建物の方を指差してくれた。同じように、観光駅長さんにも「靴履き替えないといけないね」。まだ若い観光駅長さんは地元の人に可愛がってもらっている様子が窺えた。ここで、観光駅長さんと一緒に長靴に履き替えた。
先ほどの役場の方と観光駅長さんとで青池へと向かう。途中、いろいろとお話を伺った。観光駅長さんは私に教えてくれた内容もあったが、まだ3月に赴任したばかりで知らないこともまだある様で、地元の女性の方から「知っておかないとね」と教えてもらう場面もあった。ちょうど今がスポンジが水を吸うような時期の様に見受けられた。秋田や五能線の海沿いは雪がないのに、やはりこのあたりは雪がすごいですね、と話すと、「今年の雪はすごかった」と二人口をそろえておっしゃっておられた。道は相当な雪道であったが、それでも地元の方たちで一所懸命4月1日までに機械で除雪し、スコップで整理し、さらに足で踏み固めて道をつくってくれていたらしい。「リゾートしらかみ号で来てくださる方に嘘をついたことになるでしょ」と。「おかげで筋肉痛で、運転する時が辛くって」と笑って話されていた。観光にかける魂に触れ、私は清々しい気持ちになった。
そうこうしているうちに、目的地の青池へと到着した……(明日へつづく)


奥州市、誕生

 胆江新市名 「奥州市」に::岩手日報
 私の親友であるtakaの出身地である江刺市が、市町村合併で「奥州市」となることが決まった。江刺市といえば「炎立つ」以来、「えさし藤原の郷」の壮大なロケセットと多く残る大自然をバックに、戦国モノを中心として、直接江刺とのゆかりがない大河ドラマのロケ地も務めてきた自治体である。今回の「義経」でもメーンロケ地として毎週大河ドラマのオープニングテロップで名前が堂々と表示されている。私は以前より「江刺」という地名に、岩手らしさを感じていた。
 まだ慣れもないので、賛否の「否」があるのは当然だと思える。ただ、ひとつの新しい市が生まれるときは、とりあえずは祝福したい気持ちである。なによりも、決まった市名を旗印に一致団結していくのだという言葉が、奥州市の市役所が置かれることであろう水沢市の現市長から聞けたことは何よりも頼もしく感じる。水沢も旧城下町といってよい土地であろう。またひとつ、中心部を関した市の名前が消えるわけだ(別にそういった流れに反対しているわけではない)。
 ただ、最初の候補10個のうちtakaが「日高見市」というのが違和感がない、小さいときから親しみがある、これが良かったというのを聞く機会があり、これは私にとって有益な話だった。「日高見(ひたかみ)」は北上に訛る以前のこの地方の呼び名で、肥沃な土地と屈強な兵士を持ち大和朝廷にも屈しなかった旨が、日本書紀にも記されているのだという。もっとも、宮城平野から下北の当たりまで広くさすようではあるが、「奥州」よりはやや狭いか。宮城のほうから物言いがあるかもしれないが、それは東北地方全般からの物言いが予想されうる奥州市とて同じである。
 雄大な自然を擁しながらどうも安比高原に知名度で劣る、西根町・安代町・松尾村の新市名「八幡平市」の例でもないが、市町村名にして知名度を挙げるというのも一つの市名の決定法だろう。平泉文化も良いのだが、アテルイ、坂上田村麻呂以前ももっと売り出していけるよなあと「日高見市」にはおもうのだ。北海道ひだか市のときも候補にあがっていたみたいで、日高山脈も「日高見」の流れを汲むのだろうか。
 だいたい、日本書紀の記述なのに、「蝦夷」のように変な漢字があてられてないというのは気になる。東北地方に残るアイヌ語起源らしき地名には、謎ときが楽しめそうな要素があり、まだ調べつくされていないこともあり興味が非常にそそられる。
 まあ、市町村合併のほうはこんなこともあって、まだ紆余曲折がありそうだ。