2005年05月一覧

青森県岩崎村・十二湖へ行く(2)

十二湖・白神山地

(昨日のエントリ「青森県岩崎村・十二湖へ行く(1)」より続く)
そうこうしているうちに、目的地の青池へと到着した。本当に青い。…いや、季節がらブルーというわけではなく、どちらかといえば藍色で、ところによっては完全に透明なのだが、それでも神秘的な池であることには間違いない( 昨日のエントリの写真を参照)。しばし見惚れる私たち。夏には本当のブルーの池が見られるのだそうだ。
観光駅長さんがご同道した女性連れの記念写真を撮影されている間、役場の女性からお話をさらに伺った。雪が解ければ33湖めぐりのトレッキングもあるらしく、夏には是非にとお誘いを受けた。一つ一つの湖に個性があり、見ていて飽きないのだという。印象的だった言葉は、「地元の私が見ても感動できる。見るたびに湖が違う」 観光に従事する者、その観光の対象となり得る土地を愛せざれば、辛い思いをして豪雪の雪かきなんか出来ようか。雪の残るブナ林という大自然にも感動したが、地元が一丸となって来た人に感動してもらおうというそのプロ魂にはもっと感動した。自然を見に来て、ひとに感動するとは、思いもせなんだ。
青池を十二分に堪能して、もと来た道を戻ることになった。指摘されて、私は木の芽吹きに気がついた。まわりは未だ雪だらけで、コートがあってちょうど良い寒さだったが、生命の息吹が神秘な自然を震わし、私たちのこころをほんのりあたためてくれた。
バスの終点から少し十二湖駅よりへ行ったところには茶屋があり、そこでお手前を頂くこととなった。「ここの水がおいしいんですよ」と観光駅長さんに薦められ水を飲んでみる。旨い。味がしない系のピュアな水で、全く水系が汚れていないことが窺える。やがて干菓子が出され、そのうち薄茶が出された。……非常に美味しい。私が頂いてきたお抹茶では、過去1番の味だった。。「自分で点てて飲むこともあったんですけど、それに比べて全然美味しいですね」と言うと、「お茶をやるんですか?」とびっくりされた。私たちは、しばし大自然の中での安寧に身をおいた。
観光駅長さんが「水の流れる音がいいですね」と言う。眼を閉じればひんやりとした森の懐に抱かれ、水のせせらぎが心地よい。吹き抜けるやや冷たい風と、かわいげなるせせらぎの音が、日々の不愉快な雑念を洗い流してくれるかのようだ。そして、この頃には、この若い女性観光駅長さんの人当たりの良さに感動していた。優しく、親切、そして地元の人たちに愛され、この仕事を一生懸命こなしていこうというひたむきさが、私の心を打っていた。そういった、自分より若いであろうプロ意識の高い人に出会えたことが、なんか光栄のように思えていたのだ。
深浦町役場の方、観光協会から来ていらっしゃるという観光駅長さん……ひとを直向にする大自然があるのだとも言えようか。
十二湖駅へと戻る途中、案内されて「日本キャニオン」をみた。日本とは思えない、日常をはるかに超越した大自然がそこには展開されていた。私は雄大な自然に、普通に感動してしまった。今度は泊まりで来てください、と誘われつつ、雪も残っていない十二湖駅へと戻ってきた。
昔、白神山地は正に人間と自然の共生の場であった。世界自然遺産登録で制約もついたが、その分、観光の芽はさらに出ることとなった。とことん商業化して大勢を呼び込むことが出来ないのが、大自然観光スポットの辛いところだ。しかし、その苦難を撥ね退け、迎え入れた客人が愛する古里である神々しき自然に共感されんことを真摯に願い、信じる情熱がある。ひとをそこまでさせる場所が、ステキでない筈がない。
役場の方は、この十二湖の素晴らしさをWebに上げていきたいともおっしゃっていた。ふと自宅に帰ってから調べてみると、深浦町には合併前も後もWebSiteがあるのだが、旧・岩崎村は間借りのかたちの公式ページだったようだ。今回、タイトルを敢えて「青森県『岩崎村』・十二湖へ行く」としたのは、今まで十二湖を盛り立ててきた岩崎村という存在をWebに遺しておきたくおもったからだ(深浦町の観光課の方も、もとは岩崎村に勤めておられたようだ)。まずは、感動を自分のSiteに遺しておくべく、2回にわたって旧・岩崎村、今の深浦町にある十二湖探訪記をここに掲載した。
Uターンしてきたリゾートしらかみ3号は再度十二湖駅に停車した。私が乗り込むと列車は十二湖駅を発車し、観光駅長さんは笑顔で私たちを見送ってくれた。
さて、リゾートしらかみ号はここからもお祭りだった。列車は千畳敷駅で10分ほど小停車した。千畳敷駅を降りるとすぐ、珍しい岩場の海岸が列車客を迎えてくれる。千畳敷の異風景は私を悦ばし、海の香りは心にゆっくり染み込んだ。鯵ヶ沢を過ぎると、海沿いでない区間を走る。それでも、まだ白銀の大地に聳え立つ岩木山に映える夕日が美しかった。津軽三味線演奏もあり、最後までお祭り列車だ。
日本全国、鹿児島から北海道まで見て回ってきたが、ここまで魂が揺さぶられた土地はなかった。青森県深浦町、十二湖は、100%人に薦められる場所である。東京からなら、東北新幹線「はやて」で八戸まで行って特急「つがる」で弘前から、あるいは秋田新幹線で秋田まで行って、そこから「リゾートしらかみ」号に乗るのが手っ取り早い(実際、東北新幹線八戸開業の時に「はやて」宣伝でJR東日本が行なった北東北の大プッシュと、「リゾートしらかみ」号の創設後、客数は増えたのだそうだ)。十二湖駅で降りれば、凛々しい観光駅長の心温まる出迎えがある。車で行くのも、美しい海岸沿いの道をドライブできそうだ。泊まりなのであれば、今度は車で行ってみたい。
ふと思いつきで立ち寄った場所で、インスパイアを受けること。これがあるから、旅はしなければならないなと思う。


青森県岩崎村・十二湖へ行く(1)

十二湖・青池 秋田・青森旅行の続きを書きたい。
秋田市街を思う存分歩き回り、久保田城跡も見て回った私は、今回第2の目的地・白神山地へ行くこととした。すでに秋田-弘前の五能線・奥羽本線2日間乗り放題のきっぷ「五能線パス・タイプA」を買っており、秋田地鶏の駅弁を物色しつつ、「リゾートしらかみ3号」に乗車した。気動車だが、車内は大変にゆったりしたつくりで快適そのもの。ただ、日曜日だというのに思ったほどの混雑率ではなく(20%を超える程度か)、当初指定券が取れていたボックス席でも相席にならずに済みそうな感じだった。
なにはともあれ列車は発車し、秋田をあとにした。八郎潟のあたりから暫く眠り、起きたら東能代。ここで数分停車するそうなのでさっそく降りてみたが何もない。奥羽本線から分かれて五能線に入った次の能代駅には駅前にサティもあり、こちらが市街のようだ。能代駅には秋田杉の小片が置いてあり、自由に持ち帰って匂いを楽しめるようになっている。バスケの街で、1号ではバスケ体験も出来るアトラクションがあるらしい。
能代駅を出てしばらくすると、海沿いを走る五能線らしい風景が広がり始める。これを求めて五能線の乗りつぶしに来たのだ。絶景では徐行して走ってくれる。さすが、企画モノトレイン。
あきた白神駅を過ぎ、青森に入る。私は白神山地の自然を求めて、十二湖駅で降りることにした。リゾートしらかみ用の観光ガイドを見ると、なぜか湖面が青い「青池」やブナ林を間近に見ることが出来るところのようだ。十二湖駅で降り立ち、1時間40分後にリゾートしらかみ3号はUターンして戻ってくる「蜃気楼ダイヤ」なる編成になっており、私は束の間の森林浴を楽しもうと思ったわけだ。
駅を降り立つと、駅員の格好をした若い女性に迎えられた。「あれが噂の観光駅長か」…リゾートしらかみが走る五能線沿いの駅には、女性を「観光駅長」として起用し、駅に配して観光案内をさせているようなのである。駅から出ようとすると、その観光駅長が先回りして「きょうはどちらへ?」と、笑顔で観光ガイドを渡してくれた。
その日はたまたまマスメディアの取材が来ていたようで、青森県西津軽郡岩崎村――既に合併して新「深浦町」となっていたが――の観光課の女性の人、それから観光駅長さんと特別にご一緒する機会を得た。青池行きバスに乗り走り出して2分もすると、駅前にはなかった雪が残ってる残ってる。道も狭い。バスの中では、「十二湖」といいつつ実は33あるという湖のいくつかがバスから見えてきたが、その都度運転士がアナウンスで解説を入れる。かなり親切だ。
バスは終点に着いた。ここから先は歩いていかねばならない。ここで地元の人から「長靴でないといけないよ」とアドバイスがあった。「あちらに長靴がありますから」と、建物の方を指差してくれた。同じように、観光駅長さんにも「靴履き替えないといけないね」。まだ若い観光駅長さんは地元の人に可愛がってもらっている様子が窺えた。ここで、観光駅長さんと一緒に長靴に履き替えた。
先ほどの役場の方と観光駅長さんとで青池へと向かう。途中、いろいろとお話を伺った。観光駅長さんは私に教えてくれた内容もあったが、まだ3月に赴任したばかりで知らないこともまだある様で、地元の女性の方から「知っておかないとね」と教えてもらう場面もあった。ちょうど今がスポンジが水を吸うような時期の様に見受けられた。秋田や五能線の海沿いは雪がないのに、やはりこのあたりは雪がすごいですね、と話すと、「今年の雪はすごかった」と二人口をそろえておっしゃっておられた。道は相当な雪道であったが、それでも地元の方たちで一所懸命4月1日までに機械で除雪し、スコップで整理し、さらに足で踏み固めて道をつくってくれていたらしい。「リゾートしらかみ号で来てくださる方に嘘をついたことになるでしょ」と。「おかげで筋肉痛で、運転する時が辛くって」と笑って話されていた。観光にかける魂に触れ、私は清々しい気持ちになった。
そうこうしているうちに、目的地の青池へと到着した……(明日へつづく)


民放3局地域の悲しみ

 私は旅好きなのか、時折どこかへ行かないと発狂しそうになる。だいたい、中高時代は往復3時間、多摩川を越えて毎日通学していたわけで、言ってみれば毎日旅行だったわけだ。職住近在はいいのだが、毎日が単純な往復で完結しているとどうも精神的によろしくない。
 そんなわけで年度替りの多忙な時期ではあったが、秋田・東青森へ行ってきた。まだ行ったことのない秋田市街を歩いてみたい気がしていたこと、それから白神山地を間近に見てみたいこともあり、秋田に一泊することを決めた。今回は、盛岡からローカル線の花輪線に乗って、大館へと抜けるルートを選んだ。いまなお気動車が走る花輪線、岩手県内を走る時間が結構長い。今度「八幡平市」になる西根町・松尾村・安代町は相当な広さだ。安比高原のあるあたりは4月になっても一面雪景色であった。私は、旅らしい異風景を十分満喫していた。
 ところが列車が進み、秋田県内に入った途端、私は一抹の寂しさを覚えた。理由は常人には理解し難い理由かもしれない。
 その理由というのは、「民放テレビ3局地域だから」、だ。
 秋田県にある民放テレビ局は、秋田放送(ABS;日本テレビ系列)、秋田テレビ(AKT;フジテレビ系列)、秋田朝日放送(AAB;テレビ朝日系列)の3局で、TBS系列がない。だから、日曜日のかつての電波少年の時間帯に「水戸黄門」をやっていたり、深夜帯にTBSのバラエティ番組が並んでいたりするわけだ。
 私は関東で育った人間であるので、テレビ局はテレビ東京を含めて満遍なくどの局も見てきたと思う。今自分が住んでいるところは、民放4局地域なのでさほど不便さがない。無ければ無いことに順応するのは意外と簡単である。しかし、その4局がどれも面白くない番組をやっていたとき、選択の幅がNHKしかないというのは痛い。日本シリーズの第7戦、テレビ放送がなかったときは「自分は地方に住んでいるんだ」という事実を決定的に味わわされた。
 そのことを考えると、秋田県内に入った瞬間「この人たちはTBSの番組を見ずに過ごしているんだ」と悲しみを覚えてしまう。『8時だョ!全員集合』、『ザ・ベストテン』 、『3年B組金八先生』、『渡る世間は鬼ばかり』といったような番組も、数日~数週間遅れでしか見る機会がなく、しかもその権利の行使は民放テレビ局に左右されているという……。自分はまだ4局未満地域に住んだことはない。だが、日テレ・TBS・フジ、それからテレ朝が欠けると物悲しい思いをする確率はテレ東のない悲しさの比ではないだろう。ましてや前者3つなら尚更だろう。
 以前、青森市街を歩いた時も同じような印象を持った。「『笑っていいとも』をこの時間にやっていないなんて」、と(昼に歩いていた)。
 秋田のホテルにチェックインした私は、秋田の海沿いにあるセリオンというタワーに出かけた。そのタワーに入ると、テレビの音が聞こえる。見ると、テレビが10数台並んでおり、地元のケーブルテレビの宣伝用途のゾーンのようであった。しかし、気がつくとその音は、IBC岩手放送でやっている「オールスター感謝祭」のものだった。ケーブルテレビの最大のウリは、地元にない人気キー局の番組が見られるということだったのだ。
 中央と地方の問題が取り沙汰されている。その中で情報格差というものを考えたとき、このテレビ局の格差の問題というのは、いかにもソフトウェア的問題で、対処なんて制度を変えればすぐ対応可能なのに放置されている点で歯痒く思うことがある。パイ(広告を見る対象世帯)が小さいから局を少なくする、ということにテレビ草創期になんで疑念が誰からも出なかったのが不思議なくらいだ。結局、巨大なパイを抱えている関東キー局なんかは、地元ローカルニュースの細やかさは地方の県域局にはかなわない。そういったコンテンツが不要かもしれないし、事実誰もが見たいと思う内容ではないだろうが、そのことが神奈川都民や千葉都民、埼玉都民のアイデンティティを希薄にしている印象がある。もちろん、大きなパイを分割するのも結構だが、それでも平野なら電波天国である。
 小さいパイしかないところが大きなパイを取れるようにするか、それとも誰かが言っているように放送が通信に取り込まれるか。どちらかしかない気がする。確かに無いことに順応はできる。別にテレビがなくても生きていける人は多い。しかし、一度味わってしまった豪奢を質素に戻すのはきつい。故郷に戻ることを阻む要因が、「パチンコのCMしかやってないテレビしか見られないところには帰りたくない」というのは、切なすぎる。