2024年12月一覧

中世とは何か

1年に1回は更新しています。

本年のNHK大河ドラマ「光る君へ」はドラマとして楽しく視聴してしまった。それこそ、「完全戦国年表」を更新していた最末期に大石静さんの「ふたりっ子」に影響を受けたクチである。フィクション部分にあーだこーだ言いながらも、ドラマとして楽しいのがあの時間枠は一番という気がする。

それはそうと、「光る君へ」の時代考証は倉本一宏先生。倉本一宏先生の著書に『内戦の日本古代史』(講談社現代新書)があるが、じつはこの本には多大な影響を受けた。読んだのはコロナ禍になったタイミングで、Kindleの積ん読を200冊超消化していた時期であったが、読んで以来、じつはずっとこの著書を発端にぐるぐる考えが止まらずにいる。令和になってずっとだから、令和は同著で回っているのではないかというくらいだ。

影響を受けた、というのは以下の通りのことである。

同著では、前九年・後三年の役を境に、古代の日本には見られなかった大量虐殺と残虐な殺戮描写が史料に目立つようになったことを指摘している。その上で、どうして古代日本はこのような事態を迎えることを許容してしまったのか……その上で、古代の貴族の視座から武士の発生論を考えた研究が無いことを倉本先生は問題提起されている。

上記を承けて――堅い政治体制、確立した思想、正しいポリシーであっても、人々が”人間味を追求する”と時代は中世化するのではないか。「新しい中世」があり得るのではないか。大衆は無自覚に中世を望んでいるのではないか……そんなことを考えていろいろ書物にあたるのだけど、まったくしっくりくる論考がない。論考がないなら自分で書くしかないのだが、今の時代、文章での論述は最後どこかでは必要になるとしても、議論を巻き起こすにはどの表現手段が良いのか、マンガイラストなのか、語る方式のロング動画なのか、踊る形式でショート動画なのか、少し迷ってみたりするのだ。

そう考えると、中世の終わりを「完全戦国年表」で単なる歴史ファンとして向き合ってきているのが生きてくる。中世とは何かというところから、一々言及していく必要もある。市井の一歴史ファン(私は市井の史家ではない…残念ながら)として、国民の一人として歴史を好む立場で、泡吹いて議論するのも悪くないのではないか。

と、議論となると殺伐とし出して、まさに中世って様相ではあるが、「平安時代がNHK大河ドラマになることはないだろう」という記述は『内戦の日本古代史』の中にもあるのだけども、いざ大河ドラマになってしまって、アレンジにドキドキしたり、史論が進んだり、「戦国時代の大河ドラマでざわついてたのってこんな気分だったのか」とざわついている平安時代界隈のファンを見るにつけ、そこにいちばん平安を感じるのであった。