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第1回・あの人を、よくここまで美化したな・・・

で、第1回から漫画なんですけど、ほんとは歴史小説をあげたかったんです。しかし、忘れてしまいそうなんで、この本を。

私が小4のとき、社会の先生が戦国時代の話しをしてくれて、なぜか、徳川家康に興味を持ったんです。それで、移動図書館の貸し出し券作って、学研まんが・人物日本史の徳川家康を借りたんです。そうすると、徳川家に愛着を持つようになったんです。(これがきっかけで、現在では石田三成が大っ嫌い)

で、なぜかつぎに借りたのが「淀君」なのであります! 大河ドラマでは松たか子さんが演じてるこの人、美貌で秀吉をメロメロにさせ、政治を知らないのに、我が子秀頼に口を挟み豊臣家を滅ぼしたという印象が非常にでかい。し・か・し、これを読めばそんなのがぶっとびます。

まず、北政所ねねが悪人にみえてくる。捨て(鶴松)を取り上げ病死させ、豊臣滅亡後も幸せに暮らした、という設定としか思えないのだから。

しかし、妹2人と、敵・味方に別れてしまったことが哀愁的に書かれていて涙を誘う。戦国の悲劇が手に取るように分かる。

淀君が嫌いだけど、松たか子命!という人に御勧めの一冊ですよ。ところで、この本を最初に読んで、戦国の一般論を間違って刻み付けられた私は・・・・・・

いまではアンチ淀君の筆者

DATA:学習研究社、まんが・さかぐち直美
(初出:「戦国メディア市・第1回」1997.1.26)


完全戦国年表16周年特別企画・戦国メディア市復刻版

仰々しくリニューアルした[BLOG M]、華々しく始まったメルクマークタイムラインズであるが、更新の音沙汰はない。自分で言ってどうする、という向きもあるが、本日1月26日は完全戦国年表の誕生日である。忘れられない記念日なので、少しばかり踏ん切りを付けて何かしよう。
それで過去記事の再掲ってショボって話もあるが、「戦国メディア市」は当時反響もなかなか多かった。第2回のNHK大河ドラマ・秀吉を取り上げた回は1年近く散発的に反響があった。ネット界における大河ドラマへの不満の魁でなかったかと思う。
「戦国メディア市」は、年表だけじゃ味気ないしってことで始まった苦肉の内容だったが、「完全戦国年表」のサイトとしての特性として常にコンテンツが追加されていくわけで、唯一の更新されるコンテンツとしてアクセスを稼ぎ出していた。「戦国メディア市」は、ブログを先取りしていた。ASAHI-NETサーバはCGIも動かず、コメント欄やトラックバックもなかったのでコミュニケーション手段はメールに限られていたが、自分から自発的にメールをするというような積極的なタイプでないわたしにとっては、「戦国メディア市」への反響のメールによってネットでのコミュニケーションの経験を得ていくことが出来た。また、何かを批評する、何かを読んで文章を書くことが出来るようになったのも大きい。国語が得意でも読書感想文を書くのがキライだった私にとって、「疑って読む」「人に文章で勧める」といったことが出来るようになったのはあまりに大きい。
今は個人でこっそりやっているブログやら、twitterにFacebookほかのSNSまで、書くところが増えてはしまったが、やはりメディアにあふれており話題には事欠かない。私のメディア批評の原点は「戦国メディア市」にある。
物書きの原点という意味で、もう1回読んでみるのも良さそうである。温故知新という考え方もある。とりあえず、koboじゃないけどコンテンツ水増しするぞー

(追記)大事なことを書き忘れていた(汗)。今回、完全戦国年表公開と同時に公開された第1回から最終回前の第29回まで(※第20回を除く)と、1999年1月1日の完全戦国年表更新休止宣言から2年ほど続けていた「試験電波発射中」で公開をアナウンスした「戦国メディア市総集編」の第1回と第2回になります。第20回と最終回は再公開をしない予定です。第20回が再公開されないのは、この回は特別編成で、私が小学生の時につくった「戦国新聞」の再現になっており、現状ブログ(Wordpress)ではデザインが崩れるためちょっと面倒なため。最終回が再公開されないのは、Theメディア市で復活したんだから、ドラえもんの第6巻よろしく最終回はやっぱりなかったことにするため・・・・・・ではなく、ちょっと今の私が公開するのは生意気でむかつくってあたりが事情です。


メルクマーク序論〜[BLOG M]としてのリニューアルにあたって

構想15年、「完全戦国年表」の独自ドメイン化(通称:年表.com)を本日より開始します。ドメイン名は「merkmark.com」。この名前に込めた意思はTOPページの「About」をごらん頂くとして、「メルクマーク」っていうと明らかにドイツ語由来の「メルクマール」の誤用なんですよ。だけど、merkとmalの造語であるように、merk(独)とmark(英)の造語だっていいじゃないか、と漱石枕流のような気分もあったりします。これで、「メルクマーク」ってみんな間違えてくれればサイトの宣伝にもなっちゃう(笑) この名前を考えつくのに5年、頭に思い描いて7年くらい。ずっとドメインは取ったままだったのですが、本日2012年12月6日、ようやく公開します。
それもこれも、「Theメディア市」をおいていたNews-Handlerのゆるやかなフェードアウトのおかげです(blogtribe.netはサービス休止の連絡も無くドメイン業者の手に落ちていますw)。そんなことなければ、ずっと公開先延ばしにしてましたよ、忙しいもん。ただ、12月6日を公開日にするってことは結構前から決めてました。私にとって、12月6日(正確にはその前日の12月5日)は忘れられない一日だからです。おいおいお話しすることもあるでしょう。
「完全戦国年表」のみならず、既にASAHI-NETサーバで作成を仄めかしていた「完全幕末年表」に加え、「新暦日本史年表」「完全近現代史年表」と、幅広く作成していく希望を持っています。年表には適正規模があると考えていて、その名前に応じたサイズになるでしょう。
「完全戦国年表・第3版」を公開して15年経つのですが、日本の過去の出来事をグレゴリオ暦にして追っかけるという風潮はついぞ広まりませんでした。一番このことを考慮してるのはWikipediaというお寒い状況です。今年も6月2日になれば本能寺の変だし、12月14日になれば赤穂浪士が討ち入りします。こんな状況に一石を投じたい。
そして、「戦国時代人物名鑑」を書いていたころから15年も経って、この私も世間に揉まれてちょっとは物事の見方が変わってきております。若かったころにはなかった見方を少しずつ書いていきたい。日本の方々も歩いてきました。その土地を歩いてみて、培った考えを歴史とクロスさせていきたい。
歴史は依存する対象ではなく、歴史にちょっと入ってから実際の社会に帰って行くと、なんだか元気が湧いてきます。折れそうな心に幾ばくの水を注してくれる。歴史を通したほうが、何事も説得力があるので、はい。
「完全戦国年表はオワコン」と言われて久しいですが、そもそも戦国WebSite界(?)では、技術をもってならしていたサイトなので、そっちで頑張ります。プレゼンスもほとんどなく、小学校教材として使われているのがメインという状況ですが、「ちょっと調べ」に大人が使えるサイトを目指します。うん、詳しい情報はWikipediaにお任せ。でも、Wikipediaは編集しあった結果大人しいことしか書いてないので、こってり担当。

その「Merkmark Timelines」のブログとして堂々デビュー、でもデザインはWordpressのテーマ・Twenty Twelveの配色を野暮ったくしたかんじな「[BLOG M]」。コンテンツは相変わらずの「メディア市」に、「編纂後記」と慎ましく書いていきます。略称の[BLOG M]の”M”はmerkmarkのMであり、メディア市のMです。ただ、同名サイトも一応あるっぽいので、あくまで正式名称は「Merkmark Timelines Official Weblog」です。「Theメディア市」が3年以上も更新してないのに更新されるのか? はい、とりあえずかつての「戦国メディア市」を[BLOG M]にて再構成(再校正)のうえ復刻します(特別回をのぞく)。元祖戦国メディア評論家として、細々頑張ります。
旧「Theメディア市」のコンテンツもおおよそは引っ張ってきています。が、一番最後の「そのうち移転します。」エントリだけは、消滅です。バックアップが手元にないため…だって、管理画面だけはいけてたりしたんだもん、News-Handler。無念。

なお、「完全戦国年表」についてはしばらくASAHI-NETサーバで継続となります。他のサイトは、merkmarkドメインで最初から運用します。「完全戦国年表」のサイト移動計画については稿を改めさせてください。

とにかく、この10年くらいinputばっかりしてきてしまったので、そろそろoutputに軸を戻します。サイト自体、いろいろ突貫工事で、「新暦日本史年表」の同時公開も出来ない有様ですが、じっくり確実に橋頭堡にしていきます。期待されなくても、結果として辿り着いている情報になることを目指しています。
ネット人口も増えて、書き手も増えて、その中で敢えてまだ書くからには、使命はあります。