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楽天よ、東北をけがすことなかれ

 今年は、私にとって大きな変化があった。十数年続いた巨人贔屓がフェードアウトして、すっかり東北楽天ゴールデンイーグルスに夢中になった。「私と東京読売巨人軍」で以前書いたとおり、私の巨人ファンは故あってのことで、アンチ巨人に耐え忍んできた年季ものであった。しかし、住み慣れた関東を追われ東北の地で日々生活する身にとって、同じように紆余曲折あって東北に流れてきた野球チームは相当にシンパシーが沸く存在であった。「所詮仙台のチームでしょ」と、ともすれば東北でも仙台から離れた場所ではしっともあって、そう思っている人も多いようには感じたが、「東北」人と括られて見てきた、あるいは見られるようになった私にとって、共通項も多い様々な苦難に立ち向かう東北の同志であった。ナイターのある日は、MyYahoo!で巨人よりもまず楽天イーグルスの結果をチェックした。巨人対楽天の交流戦でも、私の覚悟はぶれることがなかったと思う。
 東北楽天ゴールデンイーグルスを応援するようになって、一勝の重みを強く感じるようになった。すぐに消費される勝利ではない、熱い瞬間であった。創設メンバーは、思い入れある存在になった。前田忠節内野手がトレードになったときは、(たとえあの沖原選手とのトレードとはいえ)少なからず残念に思ったものだ。無論、エンドランを仕掛けて失敗してばっかりの田尾監督も、意外な采配の巧みさも日々出るようになって、「某球団の監督より全然マシじゃん」とか思えるようになっていったものである。
 苦難続きも楽しい日々だったが、球団フロントはファンを逆撫でしてくれることを多くしてくれたものだった。5月始めにいきなりコーチ配置の移動をやってみたり、100敗、92敗など節目がかかるペナント中に「田尾解任」「17選手戦力外」だの様々な情報をリークしてくれたり。そんなチームでも、「東北」の冠がついている以上、見棄てるわけにはいかなかった。
 しかし、その時は来た。
 続投させるのか解任するのかはっきりしないまま本拠地・フルスタ最終戦を迎え、既に解任を伝えられていた田尾監督が最後の挨拶を終えた途端、球団は田尾監督の解任を発表した。シーズン終了時発表にこだわっていたわりには2試合残して… 三木谷オーナーは続投の意思だったが、球団フロントの堅い意志で解任が決断されたという。
 私は、田尾監督にも当然ヘボ采配もあり、チームの統一が取れなかった部分もあり、不備な点はいろいろあったと思う。だけども、新規参入のドタバタの特殊事情があった。その上、相対的には酷いとも思わなかった。巨人監督だったら日本シリーズ進出くらい出来てるかもしれない(笑)。来年1年を見てみたかったというのが本音だ。今やめさせたら「悲劇の将」ということになってしまい、真の実力は分からないまま解説者なりの在野に戻ることになる。来年最下位でも5位争いが出来ているようなら大喜びだったろうし、来年も補強してなお今年と大差ない成績だったらその時点で無能監督だとレッテル貼りすればよい。たとえ、「偉大な人」が監督をやって成績が上向いても「田尾監督でも同じようになった」といわれるオチだし、同じように成績が低迷すればそれこそ楽天の監督は誰も引き受け手がいなくなる。10年後、20年後には新監督によって、田尾監督続投以上の効果が見込めるのかもしれないが、それこそ球団幹部が言ってたとおりに、球団幹部の功績なんか「ファンの皆さんは忘れる」だろう。「最近になりファンからも監督交代を望む声が球団に多く寄せられるようになった」と河北新報が伝えていた。能力の是非は確かに真っ二つだろうが、それでも「田尾続投でいい、少なくとも来年は」という声のほうが多いというのが私の印象だったが。
 十分な戦力も与えられず、現場トップの首だけ据え違えればいいと思っている「球団首脳」はバカではないのかね? それでいて山下二軍監督とともに来季編成会議に参加させたり、だいたい秋のフェニックスリーグの指揮は山下二軍監督が取るって言うけど、それで来年への引継ぎは出来るのか? あ、もしかしたらクビは田尾監督だけで、田尾監督が連れてきた山下二軍監督は残すのかな? 1年目なのに球団コーチ陣をそうひっかえしたらどんな大変なことになるのかね? さすが新規球団、野球球団らしからぬことをたくさんしでかしてくれる。
 しかも、8月以降マスコミに情報漏えいしまくって、あきらかに現場の士気を削ぐことばかりしてきたのは楽天球団幹部。それで連敗をするのが自分たちに責任がないとでも思っているのだろうか?
 ※ついでだが、田尾解任と同時にこんな記事あんな記事を出す、宮城の地元紙河北新報もどうかと思う。ジャーナリスト的な視点に立って事実を伝えたかったのかとは思うが、河北新報がきっと嫌いなはずの「大本営発表」となんの差があるんだろうか。
 巨人ファンだった頃にも似たようなことはあった。原監督に「耐えがたき」干渉を行い堀内に据え替えたのがこの結末。どうも、球団幹部は責任を監督にかぶせるケースが多い。球団の成績不振で監督が辞めるなら、オーナーはともかく球団社長も責任取れ。1年で首にしなければならない人間を監督にした責任はどこにあるのか是非ともお聞きしたい。現・楽天のリーサルウェポン一場に首を持っていかれた三山球団社長は、歴史に残る。彼は栄養費以外の面で、いったいどうファンに責任を取ってくれたのか?
 仙台では「OH!バンデス」(ミヤギテレビの夕方ワイド)でおなじみ、宗さんことシンガーソングライターのさとう宗幸氏が私を含め、大方のファンの思っていることを代弁してくれた感がある。
 さとう宗幸 田尾監督解任に激怒::Sponichi Annex
 就任の経緯から、1年では手腕を評価しかねるので/かわいそうだから来年もやってほしいこと。負けてばかりだからこそ、勝ったとき、一勝が得難いものであったこと、ファンを辞めるつもりはないけど「もう球場には足を運ばない」「ファンを辞める」と口にしてしまうこと。東北の球団として、選手と監督は溶け込もうとしてくれていたと判断していること。来年成績が上向いたら、やはりうれしいこと。
 ゼネコンは「地図に残る仕事」だという。球団ビジネスというのは「歴史に残る仕事」なのである。優勝や逆転劇の華々しいドラマは人々の記憶のみならず、記憶が書き起こされて記録にも残るのである。言わずもがな、球団の恥部も記録に残る。
 最早ここまで来ると、島田亨球団社長および米田純球団代表の決断の勇気に目を瞠るほかにない。どんな結果になっても、「田尾監督でも」と相対化されて、彼らの功績が称えられるケースは少なく、子孫代々が後ろ指さされるリスクだけがあるのだ。一つだけ彼らの名誉が守られるケースは、一部報道にあったとおり監督解任がやはり三木谷オーナーの意思だったことが判明した時だ。このときは、ファンから悪く言われる不名誉を二人の部下に押し付けて自らは美名を欲しいままにした、リーダーにあるまじき社長という歴史的評価が三木谷社長に下される。どちらにせよ、楽天にはダーティーなイメージだけが残る。
 私も、ファンをやめるつもりはないが楽天という会社にはむかっ腹立っている。楽天IDの抹消は控えるが、楽天からきているメルマガは全部停めた。インフォシークIDは抹消して、『完全戦国年表』から「インフォシークアクセス解析」を引き上げようとおもっている。正直、こんなことでもしないと気が済まない。
 島田亨球団社長は、「週刊東洋経済」の取材で、「宮城から撤退されることが恐れられていますが」との問いかけに対し、「撤退する時はそれだけの理由があることを考えて欲しい」と発言していた。ファンが球場から足が遠のくのにもそれだけの理由があることを、よくよく株式会社楽天野球団にはremindしておいて欲しい。東北撤退なんてことをしてくれたら、奥州17万騎、たかが一企業を滅ぼすのに不足はないと思うが。


鉄道時刻表とズームイン!!朝!

 私は、結構地名を知っているほうだと思う。
 市以上の地名はだいたい頭に入っている。だから、日本全国津々浦々の出身地の人との初対面のとき、出身地を聞くや否や、名産物や駅前の話をすることが出来る。すると、相手さんも「よく知ってますねえ」と、嬉しくなって私を覚えてくれるようになる。人付き合いの苦手な私が、メンタル的な面を補ってコミュニケーションが成立できる一助になっている。
 それで、なぜ私はそうやって地名を知ることが出来たのか考えてみた。父母の郷里が北海道と鹿児島で日本を北から南まで認識する境遇にあったこと、中学受験で小学生のうちに中学レベルの地理を学ぶ機会があったこと(でも高校では地理は履修していない)、中学・高校時代に実際に日本各地を見てまわる機会をもてたこと。いろいろあるが、やはりその土地がどこにあるかというインデックスを形成し得たのは「時刻表」と「ズームイン!!朝!」にあるのかな、という結論に行き着いた。
 鉄道の時刻表が好きだった。もともと、電車が好きだったこともある。ただ、私が普通の鉄道好きの男の子と違ったのは、電車の車種や駆動方式のような「電車そのもの」よりも、路線や種別設定、鉄道会社に興味の重きがあったということである。メカよりも人の営みに興味が向いていたと今となってはいえようか。この駅はなぜ特急が止まるのか、なぜこの駅どまりの列車が設定されているのか。幼少期を過ごした土地にあった京王線や小田急線はその疑問を考えるのに飽きない題材で、当時あまり種別設定が今ほど複雑でなかった東京近郊のJRには、それら私鉄ほどの熱の入れようではなかった気がする。
 それでも、新幹線やブルートレインには興味があった。本を買ってもらい、それらの特急が止まる駅、どこからどこまで走っているかを何度も何度も読んで、まだ乗ったこともない列車と行ったこともない駅に思いを馳せていた。JRの特急は、すべての号がとまる駅と、特定の号しか止まらない駅とがあり、それらを不思議に思って眺めていた。特急や快速が設定されているということは、高速バスが圧倒的シェアで鉄道が役立たずという場合を除いて、その都市間の交流が盛んだとも読み取れる。その後、地方経済を学ぶときに役立つこととなる。各駅停車が多く走っている区間はそれなりに人が多いところであり、まったく走っていないところは人がいないところである。それら土地の人ッ気をそこはかとなく把握することが、今にして思えば出来たのだと思う。おかげで眼は悪くなってしまったけども。
 そうやって鉄道によって主要都市を知るようにしていったけども、県庁所在地と県名を知る機会となったのは「ズームイン!!朝!」である。生まれてから他局の朝番組は土曜日のNHKしか見た記憶がない。基本的に我が家は「ズームイン!!朝!」であった。
 この「ズームイン!!朝!」で、テレビ局には「県名+放送」「県名+テレビ」「道県庁所在地+テレビ」という名前のものが多いことが分かった(いずれも逆もある)。基本的に、中継テレビ局と同時に都道府県名も出るので、どれに当たるかはだいたい察しがついた。朝の明るい時間の中継なので、「ここは暑いな」とか、「ここは雪が凄いな」とか、そういった気象条件が分かるには十分であった。「ズームイン!!朝!」の立ち上げ時から20年間以上ディレクターを務められた齋藤太朗氏の著書の中には、同番組で人名や知名にすべて仮名が振ってあることから、「ズーム」を一生けんめい見ていた子供が社会科の先生に「日本中の地名とか、いろんなこと知ってるね」と褒められた…という視聴者からの手紙があったことが紹介されている。一つの県域局が県庁所在地だけではなく、いろんなところから中継して、仮名も振ってあれば「きょうはどこどこに来ています」と「読み」でも知ることが出来るわけだから、目と耳から入っていくわけだ。
 ついでだが、テレビの話題もまだ付き合いが浅い人との会話の中では有効な話題だ。その土地特有のテレビ事情、テレビタレントの話題をすれば多くの割合で好レスポンスが返ってくる。青森ならば笑っていいともの時間、福井ならサンプロの飛び降り、宮城ならさとう宗幸の夕方ワイドが強い話、山形ならさくらんぼテレビ開局の顛末、新潟ならTeNYのキャッチなど、土地特有のテレビ事情は多い。まだまだ庶民の楽しみだった名残がテレビにはあるから、その話題がその土地だけで共有されていることもある。その共有の輪に加わることの出来るチャンスなのである。
 その土地ならではの風土があり、その土地が育む人の独特さがある。それを楽しむ為には、別の手段でそれを楽しんでおくことである。鉄道趣味やテレビ中毒が、酒席を楽しくしてくれている。


「義経」から見た東北

書いてはなかったが、今年の大河ドラマ「義経」は見ている。去年の「新選組!」は物語を見る傾向があったが、今年は役者を堪能する方向で見ている。全部終わったら、1回くらいの分量で書こうとは思っている。
ちなみに、原作「宮尾本・平家物語」は読んでいない。理由はまず、私はハードカバーで小説を読まないからだ。お金をケチっているというのもあるが、小説を読むのはたいてい文庫である。電車で読みやすく、首都圏を離れて車生活の今も、その時の習慣が残っているともいえる。「壬生義士伝」も「天を衝く」も文庫化を待って読んでいる。他の理由として、時代が自分の専門外というのもあるが、何よりも大きな理由と言うのは、小説を読んだ後に映像化された作品を見ると100%がっかりするからということだろう。この話はかつて「戦国メディア市総集編・第2回『原作論・史実と事実』」で少し触れた。
ただ、その時代のことを知りたければ、歴史の教科書を取り出すよりも歴史小説を1本読んだほうが感触がつかみやすい。ということで、代わりと言っては何だが、司馬遼太郎の「義経」を手に取ることにした。
義経をもって日本史は初めてヒーローを持ったという。義経の政治的迂闊さと軍事発想の天才的センス、それから幼さ、その社会観が語られる一作で、例によって司馬作品らしく読みやすい。まあ、これまた司馬遼太郎作品らしく(?)、遮那王として寺にいた義経が稚児として、覚日に「寵せられる」シーンや、そのほか衝撃的な義経の性的衝動も描かれている。
頼朝と義経の悲劇がメインかとは思うが、義経を通して(今在住している)東北について描かれているのが私には印象深かった。
吉次に「売られる」同然で平泉に連れてこられるわけだが、まず白川の関を越えると黄金で塗り上げられた阿弥陀仏が道標として津軽の外の浜までびっしり植えられているという描写が出てくる。交通行政は政権が強大でなければ出来ない、と書き加えられている。往時の奥州の豊かさがインパクトを私に与えた。俘囚扱いされる以前、縄文時代には三内丸山よろしく豊かな実りの大地であったわけで、大和政権の奥州侵略を乗り越えての、奥州にとっての華やかな時代が印象付けられる。
義経はまだ雪深い中を春まで待つため、長者の家で春まで泊まることになる。宿泊の許可を得ようとする義経を長者はあっさりと許し、それどころか、絶叫して激しい承諾の意思表示を行う。宿泊しての最初の夜、都人の「たね」を奥州人の血に入れる目的で長者の娘が伽に来た。二重瞼で顔の彫が深い、まつげぱっちり…って今のご時勢なら美人そのもののだろうが、少しでも当時の都びとのように、鼻が低く扁平で色白、髭が薄い一重瞼に奥州人をしていこうと、都びとの種が尊重されるというわけだ。そういった顔が増えると、奥州人は喜び、奥州も「熟した」としたということになる…と描かれている。私はこの一節にぎゃふんとしてしまった。なんというコンプレックスだろう、と。
当時の奥州人のコンプレックスはそれだけではない。奥州の兵は17万騎、馬と金を産出していて、富強な土地である。しかし、なぜ自分に兵を貸してくれないのか。そういう疑問を持った義経は京に忍びで上ることとなる。そこで義経が見たのは、奥州藤原氏の海員たちが、京では地下人にまで卑下し、上目を使うシーンであった。王たる藤原秀衡にすら、白河から西の王土に「怖れ」があることを義経は知るのである。奥州人に伝統的人種卑下感が存在しており、その怖れが「白河以北からそっちは侵さないけどこっちも侵さないでね」という独立国家的姿をとり続けている要因となっていることが描かれている。だが、坂東武者は京の権威は倒せばいいという、奥州人や義経の発想に思い至らないところまでいっており、そこの差が坂東人を背景にした頼朝と義経で出ていたことを解き明かしている。そうして、そのシーンはこんな文で締められる。

九郎の不幸は、従順すぎる奥州武士を背景に持ったことであろう。

物語の末期には、義経主従は、なぜ武士が頼朝に従うのかということに対して、「その源氏の血」ということを考えていたが、実際にはそうではなく、地所持ち侍の気持ちが分からなかったということが描かれている。頼朝以下、弟といえども平等だという坂東武者たちとの差異がくっきりと出てくる。
平泉(ロケ地の江刺も含めて)はよく源義経を推している。しかし、義経を殺したのは、頼朝のブラフに屈した奥州人であるということは(北行伝説はともかくとして)動かせない史実である。頼朝の姦計に乗って義経を殺して滅ぼされて以来、東北地方は常に中央の後手後手に回ってきた。明治維新のころと違って東北人が不利益を蒙ることはなくなっただろう。今や上記ほどのコンプレックスがあるわけもない。それでも東北蔑視の傾向はあり、中央に対してお人よしなところはあるのだと思う…こんなエントリを書くこと自体がそうかもしれないが。ただ、自分も本籍東北の血なのか、理不尽に対して反論せずに押し黙ってしまうことがあるような気がする。この奥州の地にどういった自信を持っていくがが今問われている。
小説の描写がすべてではない。しかし、司馬遼太郎は古本屋の関連図書を根こそぎなくなるまで史料・資料を読み込んだといわれている。歴史学者より小説家のほうが勉強しているケースとてあるのである。もちろん想像が入るが。この「義経」の東北の描写は自分にとって衝撃的だった。思い当たる節が自らに鑑みてある。センチメンタリズムを超えた歴史的想起が求められている。