前回、次回は「将星録」と書いた覚えがあるが無視。張り切って今回の戦国メディア市いってみよー。
堺屋太一氏といえば「大河ドラマ・秀吉」の原作で知られているが、わたしは、「鬼と人と」を薦めたいと思う。
「鬼と人と」は「豊臣秀長~ある補佐役の生涯~」「秀吉」とともに大河ドラマの原作になった作品である。しかし、堺屋さんの名前は「過激演出」かつ「史実誇張」の悪名高き96年度大河ドラマで泥を塗られた。某週刊誌にも載っていたように、作者本人もびっくり、だったのである。
私がこれを読んだのは大河ドラマが始まるまえで、「豊臣秀長」のあとであった。ぶっ飛んだ。くそがつくほど面白い。堺屋さんといえば、もともとは経済、通商産業方面の人で、歴史を現在の日本のために役立てようとしている感がある。「豊臣秀長」やその後に読んだ「巨いなる企て」でも、現在の会社組織に例えられる文章が出てきて、わかりやすい。好みの別れる文章かもしれないが私は好きである。
しかし、「鬼と人と」は違う。まず文書形態から行って違う。独白形式なのである。作者は織田信長を書きたかった。しかし、「日本史の奇観」「日本史の例外ともいうべき事件の一方の主役」「主観性の強い天才」である信長は、筆者の手によって書くことは憧れではあった。しかし、それを実行するために長い間迷い続けた、ということが序文に書かれている。もっともなことだと思う。それでたどり着いたのが、時代の改革者である信長と、時代に忠実な明智光秀、それぞれの口を借りた“独白形式”だったのである。
光秀が織田家に仕えて数年も経ったある年、光秀は信長と生活をそれなりの期間ともにせねばならなくなった。天正10年の武田攻めのことである。同じ出来事を二人それぞれの立場で書いていて面白いのだ。筆者はエンターテイメント性を重視して書いたつもりはないのかもしれないが、小説としてのエンターテイメント性は極めて高いものがある。私は今まで50作品弱歴史小説を読んでいるが、そのなかでも5本の指に入る、いや、ベスト3に入る作品である。○○○の「○の《ぴー←(伏せ字)》」なんかとは大違い、天と地の差、月とスッポン、である。二人の人間としての違いが現れていて何か考えさせられるものがあるのだ。内容は詳しく書くと面白味が半減するので書くことを控えるが、自信をもって人に進められる本であること間違い無しである。
堺屋さんの本はそれはそれの楽しさがあるので、また紹介できたら、と思う。
DATA:鬼と人と、PHP文庫、上下巻各540円、堺屋太一著
(初出:「戦国メディア市・第4回」1997.3.23)