編纂後記一覧

完全戦国年表QとA【2018年1月版】

そもそもQとAってなんですか?

きちんと新サーバに移転された「【完全戦国年表ライブラリー:001】完全戦国年表 QとA」を見て下さい。

第3版の戦国時代人物名鑑にいた平手政秀はなぜ消えたのですか?

「戦国時代人物名鑑」新版の計画がある

で書いた内容から、それなりの敗者復活はあったものの、メジャーどころでは、福島正則や平手政秀は復活しませんでした。前者は年表項目に該当がないという理由ですが、平手政秀切腹は項目採用しても良さそうなはず。が、落ちてしまったのは気づいたのが2017年11月で既に採用人物凍結後だったからという以上の理由はありません。
合戦については参考文献にも上げた戦国合戦事典で重要な合戦の採用を行っておおよそ復帰(九戸政実や斎藤道三・斎藤龍興あたりが復活)したのですが、どうも。明智光秀と戦った波多野兄弟は項目にありながら漏れていたばっかりに年表の項目が不自然になってたりとか。そんな項目も多数あります。なかで「一休宗純死去」って項目は最初あったのに、2017年12月になって人物名鑑書いていないことに気づいたため項目毎削除されるというウルトラAがかまされました。……じつは、同じ事を徳川秀忠にもやってたのですが、これは流石に項目を落とす訳にいかず唯一追記を2017年12月に行いました。
メジャーどころでは、真田幸隆も項目落ち。こっちは孫の真田幸村が新たに新規項目になったので良しとして下さい。

これまで室町期も扱ってきたのに応仁の乱開始って改悪ではないですか?

ご指摘はその通りだと思います。が、これはプロジェクト側のヒューマンリソース以上に、心理的な部分もあり。室町期って幕末以上に暗くて人気がない。でも、噛めば噛むほど進みようがない時代って真に硬直化した現代社会に通じるものがあり、面白いのですよね。
従前の完全戦国年表・第3版では、応仁の乱以前はプレリュード的扱いで、戦国時代人物名鑑の取り扱いもしていませんでしたが、一気に繰り上げた上で人物名鑑採用も行いたいという石はあります。

地方史が貧弱では?

今回、通史を扱った書籍をもとに作成しました。そのため中央史が大幅に強化され、結果三好・細川あたりの抗争の項目が大幅に増えました。
一方、その手の通史本は各地の戦国大名についてはトピック毎にとりあげているため、主要戦国大名についてはおおよそカバーされていたものの、それ以外の大名については零れ落ちているケースがあるかもしれません。花倉の乱が漏れていたのものそのあたりの事情です。
必要な項目はいつでも追記します。

墨俣一夜城を未だに乗せてるのですか?

「完全戦国年表」は史実だけでなく、江戸期の創作はそれはそれとしてカバーするという方針のため、明示の上記載しています。……創作もカバーっていうなら『花の慶次』あたりの出来事もカバーすればいいのにとも思いますが、不徹底です(笑)

「日本の城リファレンス」各論編、観光情報が貧弱では?

うっ。痛いところ突かれた。いや、突いてるのは自分だからどれだけマゾなのかと……
ご指摘の通り。「日本の城リファレンス」はまだまだ感。追記しやすいようにCMS化したのでってことでご容赦を。うん、言い訳をすぐつくれるよう成長できたな!


完全幕末年表QとA【2018年1月版】

ということで、晴れて公開となった完全幕末年表にまつわる素朴な疑問に作者が答える、「完全幕末年表編纂後記」一発目の更新です。

開始年度が1853年なのは?

これは、黒船来航からだろ幕末は、って深く考えていません。こちらは繰り上げも考えなくはないのだけど、いい開始時期っていうと相当繰り上がっていってしまうので微妙なところ。

終了年度が1872年末なのは?

ここだけはASAHI-NETサーバに「完全幕末年表」ページを作ったときから全くぶれてない。ズバリ完全戦国年表・第3版から「旧暦とグレゴリオ暦を双方掲載する」というのが完全年表シリーズのポリシーであり、レゾンデートルですらあると思っているので、ズバリ区切りはそこ。

そんなこと書きつつも、「完全近現代史年表」の予定はあって、こっちはこっちで別の企画を用意しているのでやはり区切りは明治政府の太陽暦採用一択。迷いなし!

少し新選組関連の項目が少なすぎではないですか?

はい、その通りだと思います。池田屋事件しかない。人物名鑑に近藤勇も土方歳三もいない。まあ、沖田総司あたりから難しいかもしれんが、いない。

やはり通史を書いた本から項目を選定すると、近藤勇処刑から宮古湾海戦から土方戦死までごっそり落ちるのだと思う。

同じく、坂本龍馬がらみもいろは丸沈没が落ちてるとか、薩長関連でも、西郷隆盛の奄美行きとか漏れ漏れ。はっきり言って政治史偏重で

それに気づいたの201712月で(苦笑)。このあたりは完全幕末年表含めて最優先改善課題です。これは、完全近現代史年表より優先します。

制作期間はどのくらいですか?

ズバリ、年表本編は2000年に完成していました。大学受験浪人中にさっとつくっていたのです。まあ、そのまま寝かせてた(苦笑)

学生時代は、正直言って授業期間中はレポートやゼミ発表で徹夜、学生会の仕事で2徹、夏休みは冬休みは非常勤のお仕事でフル稼働。社会人時代より忙しかったのであるですよ。社会人になってから長期休みはきちんとお休みになったけれども、使えるお金も増えたので本を読みながらあちこち旅行に行くのにハマって、仕事があるときは深夜残業付く時間まで働いてて忙しかったし、そんなんでOutputはしませんでした。

ようやく2017年に仕事が落ち着きだしたので、旅行をセーブして一気に人物名鑑を書いてみた次第なのでした。

山内容堂や伊達宗城が人物名鑑にいないのはなぜですか?

20年間続いたASAHI-NETサーバの告知ページには以下の記載があります。

何故、今幕末なのか?

 戦国時代を長年テーマとしてきた私にとって、彼ら、戦国武将の生き残りである人物たちが、時代の動乱期を乗り越えていく様が面白い、というところから始まったとでもいえましょうか? 毛利元就の子孫である・毛利敬親、山内一豊の子孫・山内容堂、島津四兄弟の子孫・島津斉彬・久光、伊達政宗の血を引く伊達宗城。そして、徳川家康の子孫である徳川慶喜。彼ら大名家には、戦国期の家風がそのまま残り、そのパワーが幕末という時代を動かしていくことは見逃せません。

こんなこと書いておきながら二人ともいないのはおかしい!はい、おかしいです。

大政奉還建白があるのに山内容堂がいないのはおかしいです。

あと、文久31863)年の項目「123日、朝廷、徳川慶喜松平容保松平春嶽らを参与に任命」””ってなんだよ、””って(苦笑)

ズバリ、制作時期から空きすぎた制作時に「項目は後で整形するだろ」と思ってラフにつくった整形前に執筆すべき人物を決めた戦国時代人物名鑑・幕末明治人物名鑑あわせて350名近くおり新規追加する感じでなかった&容堂漏れに気づいたのは201711月だった。

そんなところです。現場からは以上です。

リンクをクリックしたらいきなり「完全戦国年表」に飛んでしまったのですが?

現状の仕様では、祖先である戦国武将で「戦国時代人物名鑑」に採用があればリンクしていますし、城の名前は一律で「日本の城リファレンス」所属としています。前者は当然かなと思ってるのですが、後者は二本松城など完全幕末年表にしか項目がない城であっても一律で完全戦国年表・日本の城リファレンス配下としています。あまりいいアイディアはなくて、いいか、とも。CMSのテンプレートを完全戦国年表/完全幕末年表両用の者にするのも一案ですが。

そもそも、「Merkmark Timelines」で一つのサイトだろという考え方もあるとも思うのですが、現状単一CMSで運用しています。ですが、いろいろな検討の結果、戦国時代を求めて来る層と幕末を求めてくる層は別であり、サイトとしては分けるべきだという考えに至っています。その考えを徹底出来ていないのが日本の城リファレンスの問題なのですが、まあ、そのくらいにいい加減に生きないと疲れちゃうよってことで。


新版「完全戦国年表」&新サイト「完全幕末年表」、本日公開!!

本日、「完全戦国年表」第4版の公開、「完全幕末年表」の公開を行いました。個人的には長年の懸案が解決した達成感がある一方、細かいところまで100%達成出来なかったところもあります。たとえば、現状「戦国時代人物名鑑」の武将名、完全な50音順でない(ソートが出来てない)状況です。CSSもズレてるところがそれなりにあると思っています。ただし、サーバー移転、SSL導入、各種ロゴなどデザイン変更など、最初にスタートすべきところは一通り織り込むことが出来たので、とりあえずは安堵しています。

内容の確認は一週実施しています。が、やはり誤字・脱字は相応にあり、随時修正を入れています。文体もあっちがいいかな、と思ったら気軽にバシバシ修正入れていく所存。ジェットコースターでもいいじゃないか!

最近、広辞苑第7版の誤りが話題ですが、幸い?こちらはウェブ媒体なので誤りがあったら即修正を入れることが出来ます。ご指摘については謙虚に対応出来ればと思います。お問い合わせのページにメールアドレスを記載していますが、Twitterへのリプライ(@merkmark)でもOKです。ちなみに、参考文献には書いていないですが、今回、年表各項目の裏取りには容赦なくWikipediaを最大限活用していることを公表しておきます。昨今のWikipediaは「要出典」の嵐なおかげでこちら側のTypoミスを見抜くには便利なのでした。Wikipediaとの比較結果、事実関係が異なった場合は、書籍に還って調べています。

最後に、今回「戦国時代人物名鑑・第2版」において相当参考にさせて頂いた谷口克広『織田信長家臣人名事典』第2版のあとがきに以下のような一説があるので紹介します。

初版の監修を引き受けて下さった高木昭作先生は、冒頭の「序にかえて」で次のように書かれている。

「この種の著作で、しかも個人のそれで、最初から完全などということはあり得ないことであろう」「この書物を将来できるだけ完全に近づけるために」多くの方々のお力ぞえをお願いしたい、と。

今回様々な文献を参考にさせて頂いたのだけども、説が古いとか以上に単純なミスで誤っているような文献もあって(※『織田信長家臣人名事典』では当たらなかったのですが)。商業誌でも見逃されることがあるんだな、と安心してはいけないと思うのですが、あれだけのOutputのあとでは本音が零れるのだなといたく感心したので引用させて頂いた次第です。仮にも完全を頭に付けてるのに言うなよって気はしますが(苦笑)、20年前以上にストレスに強くなった私、遠慮無く叩いて頂ければと思います。事実関係以外も容赦なく書いているため、武将によってはかなり辛辣な書き方になっている部分もありますが、Wikipediaではないので譲らないべきところは譲る気はありません。

さて、本日の公開を記念して(?)7日間連続の完全戦国年表編纂後記&完全幕末年表編纂後記をアップします。明日は初めての「完全幕末年表編纂後記」となります。