メルクマーク序論〜[BLOG M]としてのリニューアルにあたって

構想15年、「完全戦国年表」の独自ドメイン化(通称:年表.com)を本日より開始します。ドメイン名は「merkmark.com」。この名前に込めた意思はTOPページの「About」をごらん頂くとして、「メルクマーク」っていうと明らかにドイツ語由来の「メルクマール」の誤用なんですよ。だけど、merkとmalの造語であるように、merk(独)とmark(英)の造語だっていいじゃないか、と漱石枕流のような気分もあったりします。これで、「メルクマーク」ってみんな間違えてくれればサイトの宣伝にもなっちゃう(笑) この名前を考えつくのに5年、頭に思い描いて7年くらい。ずっとドメインは取ったままだったのですが、本日2012年12月6日、ようやく公開します。
それもこれも、「Theメディア市」をおいていたNews-Handlerのゆるやかなフェードアウトのおかげです(blogtribe.netはサービス休止の連絡も無くドメイン業者の手に落ちていますw)。そんなことなければ、ずっと公開先延ばしにしてましたよ、忙しいもん。ただ、12月6日を公開日にするってことは結構前から決めてました。私にとって、12月6日(正確にはその前日の12月5日)は忘れられない一日だからです。おいおいお話しすることもあるでしょう。
「完全戦国年表」のみならず、既にASAHI-NETサーバで作成を仄めかしていた「完全幕末年表」に加え、「新暦日本史年表」「完全近現代史年表」と、幅広く作成していく希望を持っています。年表には適正規模があると考えていて、その名前に応じたサイズになるでしょう。
「完全戦国年表・第3版」を公開して15年経つのですが、日本の過去の出来事をグレゴリオ暦にして追っかけるという風潮はついぞ広まりませんでした。一番このことを考慮してるのはWikipediaというお寒い状況です。今年も6月2日になれば本能寺の変だし、12月14日になれば赤穂浪士が討ち入りします。こんな状況に一石を投じたい。
そして、「戦国時代人物名鑑」を書いていたころから15年も経って、この私も世間に揉まれてちょっとは物事の見方が変わってきております。若かったころにはなかった見方を少しずつ書いていきたい。日本の方々も歩いてきました。その土地を歩いてみて、培った考えを歴史とクロスさせていきたい。
歴史は依存する対象ではなく、歴史にちょっと入ってから実際の社会に帰って行くと、なんだか元気が湧いてきます。折れそうな心に幾ばくの水を注してくれる。歴史を通したほうが、何事も説得力があるので、はい。
「完全戦国年表はオワコン」と言われて久しいですが、そもそも戦国WebSite界(?)では、技術をもってならしていたサイトなので、そっちで頑張ります。プレゼンスもほとんどなく、小学校教材として使われているのがメインという状況ですが、「ちょっと調べ」に大人が使えるサイトを目指します。うん、詳しい情報はWikipediaにお任せ。でも、Wikipediaは編集しあった結果大人しいことしか書いてないので、こってり担当。

その「Merkmark Timelines」のブログとして堂々デビュー、でもデザインはWordpressのテーマ・Twenty Twelveの配色を野暮ったくしたかんじな「[BLOG M]」。コンテンツは相変わらずの「メディア市」に、「編纂後記」と慎ましく書いていきます。略称の[BLOG M]の”M”はmerkmarkのMであり、メディア市のMです。ただ、同名サイトも一応あるっぽいので、あくまで正式名称は「Merkmark Timelines Official Weblog」です。「Theメディア市」が3年以上も更新してないのに更新されるのか? はい、とりあえずかつての「戦国メディア市」を[BLOG M]にて再構成(再校正)のうえ復刻します(特別回をのぞく)。元祖戦国メディア評論家として、細々頑張ります。
旧「Theメディア市」のコンテンツもおおよそは引っ張ってきています。が、一番最後の「そのうち移転します。」エントリだけは、消滅です。バックアップが手元にないため…だって、管理画面だけはいけてたりしたんだもん、News-Handler。無念。

なお、「完全戦国年表」についてはしばらくASAHI-NETサーバで継続となります。他のサイトは、merkmarkドメインで最初から運用します。「完全戦国年表」のサイト移動計画については稿を改めさせてください。

とにかく、この10年くらいinputばっかりしてきてしまったので、そろそろoutputに軸を戻します。サイト自体、いろいろ突貫工事で、「新暦日本史年表」の同時公開も出来ない有様ですが、じっくり確実に橋頭堡にしていきます。期待されなくても、結果として辿り着いている情報になることを目指しています。
ネット人口も増えて、書き手も増えて、その中で敢えてまだ書くからには、使命はあります。


完全戦国年表iPhone対応

完全戦国年表を久々に更新しました。と、「Theメディア市」今年初めての更新ですね。

今回の更新は、トップページの更新履歴にも書いたとおり、「PC版のページすべてに文字コード指定を行った」です。いや、iPhoneのSafariで見 たら悉く文字化けしてたので…。そもそも、いちいち指定しなければならないってことは「昔は」なかった気がしてるんだが、最近はいろいろと五月蠅いので、 とりあえず。SafariはVer.1のころからMac OS Xで使っていたけど、相変わらず文字コードには非寛容というか厳格というか、実装屋からするとその方が都合いいのかもしらんが、そんなんでみんながホス ティングブログサービスに流れる社会ってのも少しぞっとする。
なお、「完全戦国年表」以下にないコンテンツ…リンクガイドラインやら「完全幕末年表」は今回の作業の対象外です。これは、じきに。iモード版と Yahoo!ケータイ版(←少しずつ表記変更かけ始めた)も、文字コード指定の対象外の予定。iモード版は最初から2KB制限ギチギチで詰め込んでいて、 実施は不可能です。ケータイ版案内にすこし書き足したのだけども、最近のケータイはフルブラウザ積んだり、読み込めるサイズも大きくなったので、PC版を そのまま見てしまったほうがいい気がしています。逆に、PC版を携帯電話のブラウザで見られないようなテイストにする意向は、あまりありません。
文字コードはシフトJISなので、その通りの指定としたけども、将来的にはUTF-8化を行いたいと検討中です。「完全戦国年表」は意外と台湾・韓国からの流入も多く、やはりUTF-8のほうがいろいろ都合がいい気がしています。

以上の更新に合わせて、多くのページでタグの小文字化を実施しました。一応、XHTMLを見据えての小文字化ですがどうだか。また、フレーム版について は、提供を終了とさせていただきました。いまさらフレームでもねえだろってことで。私にしては珍しく、フレーム版の跡地にファイルを置いたりということは しませんでした。あしからずご承知おき下さい。

おかげで「放生月毛−戦国Links」についても全ページ更新を行わなければならず、そのままリンクチェックを2年ぶりくらいに実施してしまったよと。多 くの老舗ページが更新されながらも残っているのは、安心すると同時に寂しい。そして、やっぱり出てくるデッドリンク。それと、にれにれさんご結婚されたん ですか? 最近、戦国系ウェブサイトで大きいところが出てきてるか? 2000年代前半には、突発的に大きなサイトが出来てたりしたものだけど。ブログで 戦国系ホッテントリがたまにあればいいのか? ウィキペディアにみんなで書いていればいいのか? ブログも(ここに限らずあちらこちらで)書いてRSS リーダーも目を通して、ソーシャルブックマークもやってる私だけど、まだまだ「完全戦国年表」でやるべきことがあるんじゃないのかって気は、年々強くなっ てくる。

「完全戦国年表・第四版」は、織田信長上洛まではごそっと作ったのです。それ以降が作れていない。年表本体が出来たら、あとは戦国時代人物名鑑などの内容を書いていく作業になります。今更自分が書いて、ウェブ上で意義がある書き方・方向性で作成する予定です。


「MACHIDA PC MAP」公開から10年

「完全戦国年表」の方には10周年に関してトップページに記述したものの、「MACHIDA PC MAP」に関してはこちらにて。
「MACHIDA PC MAP」は10周年を迎えることもなく閉鎖してしまったものの、ぶっちゃけて言えば「いい時期に閉鎖できたな」という気持ちが強い。J&Pもなくなり、パルテックもなくなり、まあDOS/Vパラダイスこそ来てそこそこ盛況のようだが、ソフマップが気を吐くのを除けば、ヨドバシ一人勝ちって様相である。もっとも、そのヨドバシもマルチメディアAkibaが出来、横浜も三越跡に移転して「一番広いヨドバシ」って旨みはなくなった。「日本一のパソコンショップ」メディアバレーの時代は、本当に過去の歴史である。
以前、《「パソコン」は町田に認められたのだ、ということ(》を書いたが、全く持ってその通りであったなという印象だ。もはや、町田で自然にコンピュータは買えてしまう。あるいはパーツでさえも。とびっきりのマニアなパーツや、オタク系のものはまだ秋葉原に認められて棲息している。しかしながら、服と本を買うついでにPCソフトを買うような時代に町田は突入したといえる。
どこかのサイトでは「町田はハンズも109もあって渋谷みたいだ」って書いてあったが、たしかに渋谷の要件は満たしているのに神奈川っぽい野暮ったさを抱えているのが、町田の究極の魅力であるともいえる。だが、地方都市に移住した今となっては、郊外型ショッピングモールにやられず奮闘している町田中心街は、パソコンショップがなくても相当魅力的な街に映る。
秋葉原に行けてしまう距離に住んでいてなぜ町田が必要なのか。ひとつは「帰りに買える気軽さ」であり、もうひとつは「安らぎ」であったりするのかもしれない。小田急線で、下北沢から海老名まで帰っていた私にとって、町田は「帰ってきた」と思える最初の町だった。東京の中で町田ほどの適度な田舎さっていうのは貴重である。奥多摩じゃ行き過ぎてるし、かといって町田市の中でも多摩境レベルでは行き過ぎというものである。カントリーだけども何でも揃う街があることは、町田市民だけでなく神奈川都民が誇るべき街だということを、今一度再認識してもらいたい。
「MACHIDA PC MAP Archives」は、相変わらず公開しています。ただ、ショップの旧い電話番号が公開されたままになっているので、これだけはなんとかしなければならないだろうなあと思いつつ、メインPCが吹っ飛んでいて対処できません(涙) 時間もない。せっかく2005年の正月にかつてのPCショップ跡をいろいろ写真撮ったのになあ。これは、再度撮り直しだろうか。あ、「MACHIDA PC MAP Archives」トップページには、「なお、私は当分東京に戻る予定がないため、更新再開、というわけでは御座いません。」と書いてましたが、この度私首都圏に戻ることになりました。ただ、「MACHIDA PC MAP」更新再開ってことは、たぶんしません。3店舗じゃつくっても、なあ。