言いわけ。

 この「Theメディア市」では久々の更新です。更新してなかった理由としては、けっこうこの「メディア市」は考えて書いていたんですね。その分の労力に見合う時間を確保できなかったというのが率直な理由、と。あとは、「完全戦国年表」のほうでやるべきことがたまってしまっていて、そっちの対応もしないでこのウェブログを更新するわけにはいかないだろってのが(むしろ大きな)理由。
そんなわけで、「完全戦国年表」、久々に更新しました。いや、「放生月毛」はちょくちょくしている気もしなくはないのですが、今回は「完全戦国年表 第三版」がVer.3.51になるという超弩級更新(笑うところ)です。…すみません、コンテンツの公開維持に全力が傾けられている始末です。
 今回の更新内容としては、 以下の通りです。

真田昌幸の項(戦国時代人物名鑑)
 豊臣秀吉が真田昌幸に対して言った「表裏比興の者」、「表裏一体の者」って書いていたんですが、これじゃあ真田昌幸は「表裏のない天使みたいな純真で正直なひと」ってことになっちゃいますねw いや、私としては「表が裏、裏が表でどっちも一緒で分からない奴」っていう意味だったつもりですが、「表裏比興」でそこまで解釈するのはきついだろと。そんなわけで、伝わる通りの言葉を採用することにしました。

加藤忠広改易の日時(完全戦国年表 第三版)
 熊本の加藤家が改易されたのは寛永9年6月1日ではというご指摘を頂きました(1月に;汗)。で、調べたのですが、確かに老中を通じて公布されたのは6月1日なんですね。ただ、徳川家光が伊達政宗や前田利常ら有力諸大名を集めて「代替わりなので厳しい法度(処置)をする」って宣言しているのが5月24日なんですよ。迷ったんですが、事件の性質を考えて、家光が宣言した日を採用することにしました。

いくつかの元号が間違っていた件(完全戦国年表 第三版)
 書きたくないな…こればっかりは。
 えーと、完全戦国年表・第三版のすべてのもの(PC版、iモード版、Vodafone live!版)において、「長禄」「亨録」の「禄」の字が「録」の字になっておりました。ごめんなさい!
 今のMSIMEは元号なら一発変換のようですが、昔はそうじゃなかったんですよ……あ、IMEのせいにしているわけではないですよ。気づけって話ですよね……申し訳御座いません。

 そんなわけで、今回は年表本体の修正が入ったために、iモード版とVodafone live版も直すことになり、結構大変でした。って、たかだが15ページ分くらいなわけですが。
 とりあえず、「完全戦国年表」のToDoとしては、「完全戦国年表 Lite」のTableがInternet Explorerでないと崩れるので、もとのふつうのテーブルタグを使う仕様にしたいと思います。Firefoxもだいぶ普及したわけですし、だいたい、自分も最近は半分くらいSafari使ってる(笑)。
それと、重要なのは…年号で改元があったとき、慶長年間や元和年間など、比較的後の年号では改元前の出来事については前の年号で、「改元される」って項目があった後は改元後の年号で表記されているんだけども、元亀年間とか前の方の年号では、そういったことがなされていない、と。たとえば、1570年で言えば、旧暦4月23日に改元されるまでは永禄13年なわけですが、「1月25日、織田信長が足利義昭に条書五ヶ条を送る。」の項なんかは元亀元年で表記されてしまっていると。要するに、一貫していない。中には、1429年のように両方とも正長年間の出来事なのに、片方だけ正長2年、もう片方は改元以前なのに永享元年となっている訳分からないつくりになっているところもある。うわー、これは完全にポリシーミス。修正しなければならないのですが、PC版はテーブルタグが入り組んでいるせいで、携帯版は記載が散乱し、ファイルに改行がなされていない(ファイルサイズ2kbの制限を未だに引きずっているんです)ので、大変だぞー。
 まあ、どうにかしなければなりませんね。とりあえず、問題点を明らかにしておくところまでやっておきます。

 8年前に作ったコンテンツの修正をするってのもどうかとは思うのですが、だからと言って閉鎖してしまうのは悔しいですもんね。とりあえず、メンテナンスは入れるようにしたいと思いますので、何かお気づきの点があれば、是非ともメールをください。メールと言えば、echigo@asahi.email.ne.jpはSPAMまみれになっており、なかなかチェックもままならないのですが、Gmailに転送をかけて見るようにはしております。問題なのは、Gmailで「迷惑メール」と判定されてしまうと、見ることができなくなってしまうことです。現に、完全戦国年表宛に頂いたメールがそう判定されたケースも出てきております。サブジェクトに、それっぽく「完全戦国年表あて」とか入れると、もしかしたら判定される可能性が減るかもしれません。

 更新タスクとして、実は正月に町田に行って写真を撮ってきました。これで「MACHIDA PC MAP Archives」の「PC SHOP REQUIEM」がごっそり更新できる…って目論んでいたんですが、目論見だけになってしまってますね。正直、ヨドバシとソフマップとドスパラくらいになってしまった感もある町田ですが、そういったかつての歴史を振り返る意味でも是非更新したいですね。もうしばらくお待ちください。


完全戦国年表におけるアクセス解析について

 以前、「楽天よ、東北をけがすことなかれ」で書いたとおり、Infoseekアクセス解析の採用を止めました。落ち着き次第、インフォシークIDは抹消します。インフォシークは楽天買収以前から親しんでいたこともあり、はっきり言って被害者になっている気もしますが、愚かな行為に対して制裁が加えられる or 加えるのはごく自然なことだと思います。抗議は抗議として顕れない限り、人間は感知し得ないのだと実感しております。ただし、(球団親会社の)株式会社楽天への抗議は今回はここまで。前回のエントリに書いたとおりファンをやめるつもりはないですし、野村新監督のもとで来季は唸らせる進化を見せて欲しいものです(まさか野村監督が指揮するチームを応援することになろうとは数年前には思いも寄りませんでしたが)。そんなわけで、インフォシークアクセス解析最後の3ヶ月間(8月1日~11月5日)の解析結果についてこの場を借りてご報告させていただきます。これまでも完全戦国年表をごらんの皆さんにご報告する機会があってよかったのですが、すみません、ただのサボりです。

■トータルアクセス
 トータルアクセス数は66766、重複を除いたユニークアクセス数は29068という結果です。平均値としては、トータルアクセスで688.3、ユニークアクセスで299.67といった具合です。最もアクセスが多かったのは8月31日。トータル1461、ユニークで647アクセスでした。その週にYahoo!きっずに登録されたことが大きいですが、夏休み最終日と言うことも大きいのかもしれません。お前ら宿題はさっさと済ませろよ…なお、私は夏休み明け9月の実力試験が終わってからゆっくり宿題に取り組んでおりました。逆に、最も少なかった日は9月10日のトータル401アクセス、10月16日のユニーク176アクセスです。「完全戦国年表」では土日にアクセス数が軽減する傾向にあり、オフィスでの調べ物や学校での調べ学習に使われているものの、戦国時代を趣味とする歴史愛好家からあまり支持されていない傾向がうかがえます。なお、アクセス数はトップページのみの値です(以下についても同様です)。

■リンク元
 Yahoo!からの流入が最も多く、ダントツです。トップページに関しては、Googleからの流入は17%程度とそれほどではありません。

1 Yahoo!	61.9%
2 Google	17.0%
3 goo		11.4%
4 BIGLOBE	3.1%
5 OCN		1.4%
6 @nifty	1.3%
7 excite	1.3%
8 infoseek	0.8%
9 MSN		0.7%
10 DION		0.7%

 憂慮すべきはMSNからの流入のなさです。MSNサーチの一新前はYahoo!・Google・MSNで全体の3/4を三分してました。サーチが一新されて以降、MSNの結果だけトップに出なくなり、一気に流入が減りました。僕はマイクロソフトの製品をよく使いますが、マイクロソフトはどうやら僕のことが嫌いなようです。

■検索ワード

1 戦国時代	29.3%
2 年表		19.6%
3 戦国		8.9%
4 綛頑;	7.6%
5 歴史		2.6%
6 武将		2.6%
7 豊臣秀吉	2.5%
8 歴史年表	1.9%
9 安土桃山時代	1.7%
10 戦国武将	1.5%
11 織田信長	1.4%
12 日本		1.4%
13 検索 	1.3%
14 徳川家康	1.2%
15 日本史	1.1%

 「戦国」「戦国時代」「年表」で上位に来るため、やはりそのキーワードで来られる方が多いようです。武将に関しては、戦国の三傑で来られる方がほとんど。あとは「日本の歴史」「人生」といったあたりが目立ちます。たまに私の名前で検索してこられる方もいらっしゃるようです

■OS

1 Windows XP	67.3%
2 Windows 98	10.4%
3 Windows 2000	10.0%
4 Windows ME	7.9%
5 Macintosh	2.2%

 WindowsXPがダントツです。このあとは、Win NT、Win95、Linuxと続きますがいずれも0.5%~0.1%です。SunOSといったのも見られる他は、ケータイでのアクセスやWeb巡回ソフトがちらほらと見受けられます。

■ブラウザ

1 Internet Explorer 6.0		86.1%
2 Internet Explorer 5.5		5.2%
3 Internet Explorer 5.01	1.9%
4 Internet Explorer 5.0		1.5%
5 Netscape 3.01			0.7%
6 Internet Explorer 4.01	0.6%
7 Safari			0.6%
8 Mozilla 1.7.10		0.4%
9 Internet Explorer 5.23	0.4%
10 Netscape 7.1			0.3%

 笑っちゃうくらいIE6.0で見る人が多いサイトになってしまっています。FirefoxやOperaの波はきていないようです。ただ、特筆されるのはNetscape一族で一番多いブラウザがNetscape3.01だということです(※バージョンによるマイナーチェンジの多少があるんでしょうけど)。意外とCSSを使ったりするのに問題ある状況に「完全戦国年表」はおかれているかもしれません。

■解像度

1 1024×768	70.5%
2 1280×1024	11.8%
3 800×600	5.4%
4 1280×768	3.3%
5 1400×1050	1.2%

 あまり狭いのはケータイでしょうから除外するとして、VGAでごらんの方は0.2%。ただ、SVGAの方はまだまだいらっしゃいますので、800ピクセルに収まるよう作っていくようにしたいと思います。3200×1200だとか、2048×1536でごらんの方もいらっしゃるようで、うらやましいです。

■カラー数

1 True Color (32 bit)	54.8%
2 High Color (16 bit)	35.6%
3 True Color (24 bit)	5.8%

 256色は次点で0.6%。時代は変わったものです。

 と、こんな風に「完全戦国年表」はなっております。このたび「忍者TOOLS」に切り替え、トップページ以外の多くのページも解析を始めました。バナーは小さくなりまして、数秒たてば消える(画面右上にマウスを持っていくと再び現れる)ということで容認いただければと存じます。JavaScriptオフのときは左上に現れるようになって目障りかも知れません。ごめんなさい。ホントはケータイ版のトップページにもつけようとしたんです。そしたら、モバイル版には広告バナーが普通に表示されるんです。それはいいのですが、その内容が「18禁 完全無料!大人の出会い」って(苦笑) 完全違いですから! そんなこんなで諦めてしまいました。アクセス解析自体は、早速意外な傾向が分かり始めておりますので、今後の参考にしていきたいと思います。いい加減作り直さないといけない部分、継承していきたい部分もありますが、今後とも「完全戦国年表」を温かくお目かけいただければと存じます。


楽天よ、東北をけがすことなかれ

 今年は、私にとって大きな変化があった。十数年続いた巨人贔屓がフェードアウトして、すっかり東北楽天ゴールデンイーグルスに夢中になった。「私と東京読売巨人軍」で以前書いたとおり、私の巨人ファンは故あってのことで、アンチ巨人に耐え忍んできた年季ものであった。しかし、住み慣れた関東を追われ東北の地で日々生活する身にとって、同じように紆余曲折あって東北に流れてきた野球チームは相当にシンパシーが沸く存在であった。「所詮仙台のチームでしょ」と、ともすれば東北でも仙台から離れた場所ではしっともあって、そう思っている人も多いようには感じたが、「東北」人と括られて見てきた、あるいは見られるようになった私にとって、共通項も多い様々な苦難に立ち向かう東北の同志であった。ナイターのある日は、MyYahoo!で巨人よりもまず楽天イーグルスの結果をチェックした。巨人対楽天の交流戦でも、私の覚悟はぶれることがなかったと思う。
 東北楽天ゴールデンイーグルスを応援するようになって、一勝の重みを強く感じるようになった。すぐに消費される勝利ではない、熱い瞬間であった。創設メンバーは、思い入れある存在になった。前田忠節内野手がトレードになったときは、(たとえあの沖原選手とのトレードとはいえ)少なからず残念に思ったものだ。無論、エンドランを仕掛けて失敗してばっかりの田尾監督も、意外な采配の巧みさも日々出るようになって、「某球団の監督より全然マシじゃん」とか思えるようになっていったものである。
 苦難続きも楽しい日々だったが、球団フロントはファンを逆撫でしてくれることを多くしてくれたものだった。5月始めにいきなりコーチ配置の移動をやってみたり、100敗、92敗など節目がかかるペナント中に「田尾解任」「17選手戦力外」だの様々な情報をリークしてくれたり。そんなチームでも、「東北」の冠がついている以上、見棄てるわけにはいかなかった。
 しかし、その時は来た。
 続投させるのか解任するのかはっきりしないまま本拠地・フルスタ最終戦を迎え、既に解任を伝えられていた田尾監督が最後の挨拶を終えた途端、球団は田尾監督の解任を発表した。シーズン終了時発表にこだわっていたわりには2試合残して… 三木谷オーナーは続投の意思だったが、球団フロントの堅い意志で解任が決断されたという。
 私は、田尾監督にも当然ヘボ采配もあり、チームの統一が取れなかった部分もあり、不備な点はいろいろあったと思う。だけども、新規参入のドタバタの特殊事情があった。その上、相対的には酷いとも思わなかった。巨人監督だったら日本シリーズ進出くらい出来てるかもしれない(笑)。来年1年を見てみたかったというのが本音だ。今やめさせたら「悲劇の将」ということになってしまい、真の実力は分からないまま解説者なりの在野に戻ることになる。来年最下位でも5位争いが出来ているようなら大喜びだったろうし、来年も補強してなお今年と大差ない成績だったらその時点で無能監督だとレッテル貼りすればよい。たとえ、「偉大な人」が監督をやって成績が上向いても「田尾監督でも同じようになった」といわれるオチだし、同じように成績が低迷すればそれこそ楽天の監督は誰も引き受け手がいなくなる。10年後、20年後には新監督によって、田尾監督続投以上の効果が見込めるのかもしれないが、それこそ球団幹部が言ってたとおりに、球団幹部の功績なんか「ファンの皆さんは忘れる」だろう。「最近になりファンからも監督交代を望む声が球団に多く寄せられるようになった」と河北新報が伝えていた。能力の是非は確かに真っ二つだろうが、それでも「田尾続投でいい、少なくとも来年は」という声のほうが多いというのが私の印象だったが。
 十分な戦力も与えられず、現場トップの首だけ据え違えればいいと思っている「球団首脳」はバカではないのかね? それでいて山下二軍監督とともに来季編成会議に参加させたり、だいたい秋のフェニックスリーグの指揮は山下二軍監督が取るって言うけど、それで来年への引継ぎは出来るのか? あ、もしかしたらクビは田尾監督だけで、田尾監督が連れてきた山下二軍監督は残すのかな? 1年目なのに球団コーチ陣をそうひっかえしたらどんな大変なことになるのかね? さすが新規球団、野球球団らしからぬことをたくさんしでかしてくれる。
 しかも、8月以降マスコミに情報漏えいしまくって、あきらかに現場の士気を削ぐことばかりしてきたのは楽天球団幹部。それで連敗をするのが自分たちに責任がないとでも思っているのだろうか?
 ※ついでだが、田尾解任と同時にこんな記事あんな記事を出す、宮城の地元紙河北新報もどうかと思う。ジャーナリスト的な視点に立って事実を伝えたかったのかとは思うが、河北新報がきっと嫌いなはずの「大本営発表」となんの差があるんだろうか。
 巨人ファンだった頃にも似たようなことはあった。原監督に「耐えがたき」干渉を行い堀内に据え替えたのがこの結末。どうも、球団幹部は責任を監督にかぶせるケースが多い。球団の成績不振で監督が辞めるなら、オーナーはともかく球団社長も責任取れ。1年で首にしなければならない人間を監督にした責任はどこにあるのか是非ともお聞きしたい。現・楽天のリーサルウェポン一場に首を持っていかれた三山球団社長は、歴史に残る。彼は栄養費以外の面で、いったいどうファンに責任を取ってくれたのか?
 仙台では「OH!バンデス」(ミヤギテレビの夕方ワイド)でおなじみ、宗さんことシンガーソングライターのさとう宗幸氏が私を含め、大方のファンの思っていることを代弁してくれた感がある。
 さとう宗幸 田尾監督解任に激怒::Sponichi Annex
 就任の経緯から、1年では手腕を評価しかねるので/かわいそうだから来年もやってほしいこと。負けてばかりだからこそ、勝ったとき、一勝が得難いものであったこと、ファンを辞めるつもりはないけど「もう球場には足を運ばない」「ファンを辞める」と口にしてしまうこと。東北の球団として、選手と監督は溶け込もうとしてくれていたと判断していること。来年成績が上向いたら、やはりうれしいこと。
 ゼネコンは「地図に残る仕事」だという。球団ビジネスというのは「歴史に残る仕事」なのである。優勝や逆転劇の華々しいドラマは人々の記憶のみならず、記憶が書き起こされて記録にも残るのである。言わずもがな、球団の恥部も記録に残る。
 最早ここまで来ると、島田亨球団社長および米田純球団代表の決断の勇気に目を瞠るほかにない。どんな結果になっても、「田尾監督でも」と相対化されて、彼らの功績が称えられるケースは少なく、子孫代々が後ろ指さされるリスクだけがあるのだ。一つだけ彼らの名誉が守られるケースは、一部報道にあったとおり監督解任がやはり三木谷オーナーの意思だったことが判明した時だ。このときは、ファンから悪く言われる不名誉を二人の部下に押し付けて自らは美名を欲しいままにした、リーダーにあるまじき社長という歴史的評価が三木谷社長に下される。どちらにせよ、楽天にはダーティーなイメージだけが残る。
 私も、ファンをやめるつもりはないが楽天という会社にはむかっ腹立っている。楽天IDの抹消は控えるが、楽天からきているメルマガは全部停めた。インフォシークIDは抹消して、『完全戦国年表』から「インフォシークアクセス解析」を引き上げようとおもっている。正直、こんなことでもしないと気が済まない。
 島田亨球団社長は、「週刊東洋経済」の取材で、「宮城から撤退されることが恐れられていますが」との問いかけに対し、「撤退する時はそれだけの理由があることを考えて欲しい」と発言していた。ファンが球場から足が遠のくのにもそれだけの理由があることを、よくよく株式会社楽天野球団にはremindしておいて欲しい。東北撤退なんてことをしてくれたら、奥州17万騎、たかが一企業を滅ぼすのに不足はないと思うが。