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民放3局地域の悲しみ

 私は旅好きなのか、時折どこかへ行かないと発狂しそうになる。だいたい、中高時代は往復3時間、多摩川を越えて毎日通学していたわけで、言ってみれば毎日旅行だったわけだ。職住近在はいいのだが、毎日が単純な往復で完結しているとどうも精神的によろしくない。
 そんなわけで年度替りの多忙な時期ではあったが、秋田・東青森へ行ってきた。まだ行ったことのない秋田市街を歩いてみたい気がしていたこと、それから白神山地を間近に見てみたいこともあり、秋田に一泊することを決めた。今回は、盛岡からローカル線の花輪線に乗って、大館へと抜けるルートを選んだ。いまなお気動車が走る花輪線、岩手県内を走る時間が結構長い。今度「八幡平市」になる西根町・松尾村・安代町は相当な広さだ。安比高原のあるあたりは4月になっても一面雪景色であった。私は、旅らしい異風景を十分満喫していた。
 ところが列車が進み、秋田県内に入った途端、私は一抹の寂しさを覚えた。理由は常人には理解し難い理由かもしれない。
 その理由というのは、「民放テレビ3局地域だから」、だ。
 秋田県にある民放テレビ局は、秋田放送(ABS;日本テレビ系列)、秋田テレビ(AKT;フジテレビ系列)、秋田朝日放送(AAB;テレビ朝日系列)の3局で、TBS系列がない。だから、日曜日のかつての電波少年の時間帯に「水戸黄門」をやっていたり、深夜帯にTBSのバラエティ番組が並んでいたりするわけだ。
 私は関東で育った人間であるので、テレビ局はテレビ東京を含めて満遍なくどの局も見てきたと思う。今自分が住んでいるところは、民放4局地域なのでさほど不便さがない。無ければ無いことに順応するのは意外と簡単である。しかし、その4局がどれも面白くない番組をやっていたとき、選択の幅がNHKしかないというのは痛い。日本シリーズの第7戦、テレビ放送がなかったときは「自分は地方に住んでいるんだ」という事実を決定的に味わわされた。
 そのことを考えると、秋田県内に入った瞬間「この人たちはTBSの番組を見ずに過ごしているんだ」と悲しみを覚えてしまう。『8時だョ!全員集合』、『ザ・ベストテン』 、『3年B組金八先生』、『渡る世間は鬼ばかり』といったような番組も、数日~数週間遅れでしか見る機会がなく、しかもその権利の行使は民放テレビ局に左右されているという……。自分はまだ4局未満地域に住んだことはない。だが、日テレ・TBS・フジ、それからテレ朝が欠けると物悲しい思いをする確率はテレ東のない悲しさの比ではないだろう。ましてや前者3つなら尚更だろう。
 以前、青森市街を歩いた時も同じような印象を持った。「『笑っていいとも』をこの時間にやっていないなんて」、と(昼に歩いていた)。
 秋田のホテルにチェックインした私は、秋田の海沿いにあるセリオンというタワーに出かけた。そのタワーに入ると、テレビの音が聞こえる。見ると、テレビが10数台並んでおり、地元のケーブルテレビの宣伝用途のゾーンのようであった。しかし、気がつくとその音は、IBC岩手放送でやっている「オールスター感謝祭」のものだった。ケーブルテレビの最大のウリは、地元にない人気キー局の番組が見られるということだったのだ。
 中央と地方の問題が取り沙汰されている。その中で情報格差というものを考えたとき、このテレビ局の格差の問題というのは、いかにもソフトウェア的問題で、対処なんて制度を変えればすぐ対応可能なのに放置されている点で歯痒く思うことがある。パイ(広告を見る対象世帯)が小さいから局を少なくする、ということにテレビ草創期になんで疑念が誰からも出なかったのが不思議なくらいだ。結局、巨大なパイを抱えている関東キー局なんかは、地元ローカルニュースの細やかさは地方の県域局にはかなわない。そういったコンテンツが不要かもしれないし、事実誰もが見たいと思う内容ではないだろうが、そのことが神奈川都民や千葉都民、埼玉都民のアイデンティティを希薄にしている印象がある。もちろん、大きなパイを分割するのも結構だが、それでも平野なら電波天国である。
 小さいパイしかないところが大きなパイを取れるようにするか、それとも誰かが言っているように放送が通信に取り込まれるか。どちらかしかない気がする。確かに無いことに順応はできる。別にテレビがなくても生きていける人は多い。しかし、一度味わってしまった豪奢を質素に戻すのはきつい。故郷に戻ることを阻む要因が、「パチンコのCMしかやってないテレビしか見られないところには帰りたくない」というのは、切なすぎる。


完全戦国年表10周年

私が「完全戦国年表」をはじめて作ったのは、1995年の3月のことである。つまり、2005年3月で完全戦国年表が出てからちょうど10周年だったということになる。Webサイトとしての開設は1997年1月なのでそれにはまだ時間があるが、私にとっては感慨深いものがある。
私がなぜ「完全戦国年表」を作ったのか。公式には「完全戦国年表について」でこのように書かれている。

当時中学生だった私は、どの戦国時代の年表を見てもせいぜいその出来事が起こった月までしか載っていなくて不満でした。「なら自分で作っちゃえ!」と思って作ったのがこの『完全戦国年表』です。私の手に入れられる範囲では、この程度の年表でも「完全」と思えたので、『完全戦国年表』と名付けた次第です。

事実、中学生の私が手に入る資料では、いや世の中の多くの年表は「年」表なだけあって、月までしかかかれていなかったり、最悪の場合月日が全くかかれていない。何月何日に起きたのかまで知りたかった。見つからなかったので、苦労して調べたというのが確かに事実である。その上で、今の暦で何月何日なのか、季節はいつなのか分かりやすくしたのが現行の「完全戦国年表・第三版」なのである。
私が「完全戦国年表」を作った後、「クロニック戦国全史」という私が求めていたような本が出た。高いけど、ゲーム1本と同じくらいの値段なので買えなくもなかった。これが出ていれば「完全戦国年表」を作ろうという気にはならなかっただろう。
完全戦国年表を作ったのは中1の春休みのことだ。私の通っていた学校では学年末試験の後に「試験休み」なるものがあり、終了式までは休みであった。その期間を利用して、私は手元にある資料を集め、カシオのワープロ専用機を部屋に持ち込み、年表を作り始めた。寝る間も惜しんで本をめくり、キーボードに打ち込んだ。当時、私はまだかな入力をしていたので、完全戦国年表・第一版はかな入力で作られたということになる。4日間作業に熱中して、終了式をはさみ、1日作業をしていよいよ印刷をした。4月になって友人たちにはじめて公開した。「よくこんなんを作ったな」といわれた。それから、その第一版は自分でその出来事がいつか覚えていなかった時に活躍してくれた。安土駅のスタンプなどが押されてはいるが、いまでも最初に公開したその一冊は大切に持っている。
この「完全戦国年表」は、落ちこぼれていた中高時代に私の反転のポイントとなった。戦国時代への興味は、幕末、近現代史へと推移し、そこから政治・経済への興味へとつながった。また、日本史そのものへの興味が、文学背景・古典背景への理解へとつながり古文への興味につながった。そして、歴史小説を読む習慣がついたことが、本を読む姿勢を作ってくれ、そこからあらゆる学問分野に対応できる力が養われた。「完全戦国年表」「MACHIDA PC MAP」の公開で、インターネットサイトでそこそこの成功をすることが出来、自信がついたし、Webサイト運営のノウハウを学んだり、Webテクノロジーへの興味へとつながった。項目を打ちこむ地道な作業が、一人で行う作業の基盤を作った。何よりも、自分でも輝ける分野があるということを認識させてくれたのが、私が生き永らえさせてくれたと言っていい。「完全戦国年表」が私のコアとして働いてくれたのである。
あれから10年。当時のことを考えると隔世の感がある。数少ない私のまだ残っている遺産であるともいえる。これをどう使うか、どうなっていくのか、興味はたえない。


広角デジカメCaplioRXを買う

デジカメをソフマップギガストア町田店で中古で買ったのは、MACHIDA PC MAPでショップの写真が必要だったからだ。フジフィルムのDS8。35万画素のデジカメで、その後仲間との城巡りにも大活躍、ズームつきのDS30の乗り換えて、バカ写真がたくさんとれるデジカメを古くから使い倒していた。
 しかし、その後デジカメを買いなおすことも無く今に至るまで35万画素のデジカメでDTPに使えないどころか、ブロードバンドの影響でWebでも使えるのかどうか怪しげになってきた。だいたい、雨の中撮った函館山の夜景でデジカメそのものにガタが来はじめた。それでも5年間使い、ようやく(?)あきらめて買ったのがケータイ電話SH505i(メガピクセルケータイ)というのだからお笑いである。
 しかし、今回ついにデジカメを衝動買いしてしまった。RICOHの広角デジカメの2代目、CaplioRXである。
 DS30も32mmからとそこそこ広角だったものの、それでも撮影対象が納まりきらないことが多かった。広角の必要性は、35mm~というデジカメを借りて使っていて身にしみていた。
 もちろん、R1もR1vもR2もあったわけだが、R2はまだ価格がこなれていない、R1はそこそこ安いけどもバッテリつきのR1vとの価格差を考えると悔しくなってくるので、電源の入れ方・レンズのしまい方が好みなRXを敢えて選んだ。
 最初使い始めてみて、「これは失敗したかな」と思うこともあった。望遠のレンズの暗さ、ズーム・ワイドボタンのふにゃふにゃ感、フラッシュをたくのに時間がかかる(内蔵バッテリでも)…
 しかし広角28mm、これの恩恵は悪い点すべてを吹き飛ばすほどである。デジカメをもって仲間たちと自分撮りをしても、まず外れない。せいぜいが高さだけが合わない程度。歓送迎会シーズンでこれが大活躍した。
 良い点は他にもある。風景ひとつ撮ってみても、今までのデジカメで満足できなかった壮大な納まり方をしてくれる愛い奴である。あと、色調が意外とナチュラル。どぎつさもなく、素材を活かしすぎてもおらず、中庸な色加減が素敵である。半分に縮小してみる分には最強である……等倍するとちょっとがっかりするんだけど、実際写真Lサイズで刷ってみても「等倍」なんてそんな機会ないかな、と自分を納得させてみる。1cmからのマクロ撮影は、面白い。食品に関して、どきっとするようなドギツイ写真も取れる。花も撮ってみたが、こちらは難しい。フラッシュのたき方、影にならないような工夫が必要なようだ。
 ただ、手ブレは思いっきり、する。下手したら1番手振れするデジカメかもってくらいに。ただ、暗いところでならAutoでフラッシュをきちんとたけばかなりまともに撮れることが判明した。まあ、フラッシュ禁止のところで撮る機会も多く、今後それが出来ないのは残念であるが。LUMIXのFZ1でも被写体ブレや極度の手ブレはカバーできてなかった印象があるので、これは注意次第だろうか。究極には、フジのF10のような解決法がいいんだろうが、広角じゃないしなあ(DIGICを積んだCanonのPowerShotS60ならいいんではともいえるが、流石にポケットにぞんざいに入れられないサイズになってくるので)。
 メニューも使いやすいし、「割り切り」さえあれば最高である。ビジネス向けメモ用デジカメという称号はそのとおりである。