救急車をタクシーと思うべし

 横浜市にある大学病院に行く機会があった。すると、そこにはこんな張り紙がはってある。「救急搬送の6割弱が軽症者です。救急車を他に求めている人がいます」 思わず、私は憮然とした。
 ……と、ここまでお読みになって、隆慶一郎のエッセイ集・時代小説の愉しみ(現講談社文庫)にある「救急車をタクシーと思うべし」に限りなく近い逸話であることを想起されたかもしれない。実際、私もこの短編を読んで救急車はタクシーでなければならないと強く思うようになったからだ。
 …まだ読んでいない方で、上記の考えに異論のある方はぜひ1度手にとって読んでいただきたいのだが、大筋は救急車を呼ぶことを「みっともない」と考えた筆者の知人の母が、夜中に喘息の発作を起こした筆者の知人に、朝になったらタクシーを呼ぶから我慢をするよう諭し、結果として筆者の知人が亡くなってしまったという実話である(但し、病院搬送が遅れたことと死亡したことに因果関係があるとは断定はできない)。通夜の席で、知人の母が「私が殺したんです」と泣き叫ぶ姿が描かれている。掲載をしていた新潟日報において、先の張り紙同様に「困る救急車のタクシー利用代わり」という記事が掲載され、それが隆慶のトリガーとなって掲載されたエッセイのようだ。
 だいたい、一般人にとっては「胸が非常に締め付けられる」「呼吸が出来ない」「熱が40度ある」といった症状でもって救急車を呼ぶのであり、実際にそういった症状だったけども「軽症」で医学的に分類されるもので直ぐに帰れたというのであれば慶賀すべきことではないか。少なくとも、そういったケースが6割弱の軽症者の大半でなないのか? お年寄りが安易に軽症で救急車を呼ぶケースもあるのだそうな。だが、横浜市のような都市圏(郊外部とて都市圏である)において、老人だけの住まいが車を持つことはあまり考えられない。地方と違い、老人が車なしでは生きていけないような環境ではないのだ。だとすれば、老人専用の救急車をつくろうとか言う発想の方がまだ現実的解決策であって、フラットに「軽症者の分際で救急車使うな馬鹿氏ね」というのは、なんという野蛮であろうか。
 「軽症なら呼ぶな」などと救急車を管理する側が言えば、市民は、たとえ重症でも「軽症かもしれない」と考えるようになるものである、件のポスターを作成した人間はそこまで思いが至らなかったのだろうか。それで病院搬送が遅れれて人命を失うような仕儀になれば、ポスターを作成・掲示した彼ら彼女らは殺人者ではないのか。
 と、ここまで書いていて私はいったん筆を折ってしまった。Googleで検索して行き着いた横浜市立大学医学部・看護学部の学園祭での発表「検証!!横浜市の救急医療」のうち、現場の方のご意見を見て、私は憮然を通り越して激しいショックを受けてしまったがゆえである。これは救急現場従事者の心のケアを考えなければならないのでは、という程度に実際はひどいようだ。“救急車をタクシー代わりにつかう輩(あえて患者とは言わない)”という言葉が出てきた上に、多くの方が救急車有料化に賛成されている。※この有益な企画を遂行されページを公開してくださっている横市大の有志の方に敬意を表します。意見を寄せられた医療関係者の方も、お忙しい中状況を訴えるために学生に協力された姿勢は立派であると考えております。
 しかし、それでも件の張り紙によるリスクはあまりに大きいと指摘せざるを得ない。
 そもそも「1割の重症救急搬送者が6割の軽症救急搬送者のせいで殺される」という表現のしかたは、数字を出して脅迫をかける新興宗教のマインドコントロールと何の代わりもない。重傷者で救急車を呼ばずに命を落とした人と、救急車を呼んだのに軽症者を搬送していたせいで救急車を使えず亡くなった人では後者の方が多いのだろうか? 状況を訴えるのであれば、隙のないような根拠を示していただきたい。あなた方のいまの広報方法では、実際の状況が詳らかにされず何の解決にならないどころか、医療への不信感を増大させるだけである。状況が改善する伝え方は他にもあるのに、数字でブラフをかますとは。やはり救急医療現場はもぅ逆上のエリアで、市民をひとくくりにして“自分の首を絞めているのが分からないのか”とおっしゃっているが、それを見る限り「市民!おまえらのせいで市民の命が救えねえんだぞ」というレベルにイってしまっていると断定せざるを得ない。
 本当は、実際に一般人とて救急車を呼ぶレベルではないと、コンセンサスを得られるようなケースも多いのだろう。しかし、多くの市民にとって救急車で搬送されるのはあなた方と違って日常ではないことは改めて指摘せねばならない。そういう非日常が、救急現場の厭きれた日常を全部と思い込んでいる人間によって、良識ある市民の首を絞められているのである。これを、救急現場の人間は本当に「是」とするのだろうか。
 敢えて言う。救急車を有料化して、隆慶一郎のエッセイ「救急車をタクシーと思うべし」に出てくるような人命の失い方をするのと、ごくごく一部のふざけた輩が救急車を不正利用して救急医療現場の人間がぶち切れストレスが溜まるのとどっちが良いかと問えば、後者のほうが良いのではないか? 実際に軽症者の利用中に重症者が運べなかったケースがどれほど出ているのか触れられていない以上、間違いなく「救急車安易に使うな」系のポスターや救急車の有料化は、健全な救急患者とその家族を悲劇の淵に追いやる類のものである。
 医療現場の方の反論もおおいにあるだろう。一部不謹慎な利用者が居ることはよくわかった。だが、「実際に現場はひどい」というのを繰り返すだけでは、実際の状況は市民に理解されないと思う。少なくとも、一般人も一緒に憤ることが出来る不正使用のケースを具体的に挙げるべきである(これでも、いざって時に「不正利用になるんじゃないか」と重症者が考えてしまうリスクはつきまとうが)。是非とも、「軽症」「重症」という括り方を超えて、不正利用をなくすような声の上げ方をして欲しいというのが私の願いである。
 最後にもう一度断言する。「救急車を安易に呼ぶな」と市民に訴えるのは危険極まりない行為である。


ETilog2 Debut

 新年明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願い致します。
 そんなわけで、本日2005年1月1日午前2時より、本ウェブログ「Theメディア市」に、「完全戦国年表」および「Hiroyuki Echigo Official WebSite : Eyes」からリンクをはります。
 本ブログの位置づけとしては、まあ駄文を書き連ねて、完全戦国年表本編をいい加減少しは書こうかというところ、加速をつけることが出来ればなと思っております。
 取り上げる題材は、戦国時代に限りません。一般に「メディア」と呼ばれているものだけではなく、モノや場所についても触れていこうと思っております。書籍を中心に、取り上げるネタ、書きたいネタは豊富にあります。ちょっと3月まではあまり更新できなそうですが、ゆくゆくは4本/週を目標にしております。すでに、非連載時期の「戦国メディア市」を上回るベースであります。全てを「メディア」と捉え、私なりのメディア論についても追っていければと考えてます(なんてね★)。
 思えば、1999年1月1日に「完全戦国年表」と「MACHIDA PC MAP」を更新休止宣言してからもう6年経とうとしております。その間、ホームページが更新できないほど忙しかったかといえば、そうでもなかったわけで。また、せっかく頂いたメールに対しても、嘗てほど細やかな応対が出来なくなったのも、反省すべき点であると思っております。まあ、ご質問に即答できるほど最近は戦国時代が良く分からないというのもあるんですが(ご質問は掲示板サイトへ投げられた方が、回答が得られやすいですよ)。
 完全戦国年表は今年3月で、ワードプロセッサベースで作成した「第一版」から10周年となります。今なお、多くの方がご覧になっており、また、老舗戦国ページが少しずつ閉鎖している中、97年開設組のトップバッターとして(?)、ポジションを踏まえたページつくりをしていきたいと考えております。
 「ETilog2」というのは、本サイトの仲間内での通称です。ニックネーム・エティーのブログなので「エティログ」。2代目なので「ETilog2」というわけです。本ブログも、少しずつリンクをはっていただいたり、PingサイトにPingをうったりしております。そのうち、私の周りの人間のブログを紹介する機会もあると思います。コミュニティから拡がるコミュニケーションを皆様もご堪能いただければ幸いです。
 なお、本ブログのある「NewsHandler」は、よくサイトの表示が重いことが御座います。個人経営の割には、プロバイダやポータルが運営しているものとそんなに繋がらなさは変わらないとは思うのですが、表示されないことも多々御座います。わたしは、この「NewsHandler」を応援したい気持ちが今なお強いため、あまり移転は考えておりません。なにより、テンプレートなどの変種の自由度が高いですし。繋がらない場合は、Googleのキャッシュなどでご覧ください。
 Blogは、本サイトあってこそ価値が高まると考えてます。ぜひ、「完全戦国年表」ともども、「Theメディア市」をよろしくお願い致します。


究極の喜劇・大河ドラマ「新選組!」

私が「戦国メディア市」時代から、レビューを書くときの指標にしているのがある。それは、新聞のテレビ欄にある読者投稿である。とくに、読売新聞の「放送塔」はしばしば「他の人がどう思っているのか」というのを知る上で参考にしている。「秀吉」のときは、放送塔を見た上でボロクソ少し書いてもみんな同じことを思っていそうだと考えてあの「戦国メディア市・第2回」となったわけである。
今回の「新選組!」では、意外と酷評は読売新聞のほうには行っていなかったようで、むしろ「若者層、10代に人気」とあった。インターネット全盛のこのご時世に新聞に投稿する若者なら心からそうおもったのだろう。ただ、テレビ朝日の「忠臣蔵」に投稿されていた年配者は「これぞ正統派時代劇、近年の若者に媚びたトレンディードラマ仕立てのドラマにはウンザリしていた」的論調で褒めている気配だったので、「新選組!」に不満はあっただろう。
確かに今回の配役は非常に軽くて、テロップで最後に出てくる俳優が江口洋介だったり伊原剛志だったりして「いいのかなこれで?」と思うことはあった。だけども、「新選組の当時の実年齢に近い」というのは、反論できないキャスティング理由だ。山南敬助は一躍人気モノになったし、藤堂平助が良かった。沖田総司が「平助は京都に行けて、なんで自分は江戸の道場に残らないといけないんだ」って嫉妬する藤堂平助は、正しく史料の隙間を埋めたもので、こういうのは私として非常に好感が持てる作品作りである。ただ、個人的には近藤周平がらみに違和感はあった。兄貴を切られてここまでいるのかなーと。だけども、一次史料違反を犯してまでドラマに走ることは無かったと思う。「秀吉」と違って。
新選組や忠臣蔵のような、文学寄りの歴史は、最初に影響を受けたものをずっと後生大事に引きずってしまうのだと思うんだな。坂本龍馬モノなら、多くの人が「竜馬がゆく」を基軸に判断するだろうし。「新選組!」も、それまでの年長者が演じてきた新選組モノから離れられないとおもうのですよ。だけど、今回は小学生がやったらみていたようで、これからの幕末業界(?)も変わっていくかもしれない。
最終回などで嘗ての土方歳三、沖田総司を演じた役者を出してみたり、そして親子2代の芹沢鴨といった時代劇通に見所を用意したのは流石だと思う。佐藤浩市は映画版「壬生義士伝」(浅田次郎作、文春文庫)の斎藤一がしっくりきていたので、それの残像に負けそうなところがあったのは認める。だが、切り込みに行ったときに起きていて「待ってたぞ」という、クレバーで繊細な芹沢像は、史実に違反するところ無く制作者サイドの自由采配が成功していた。
前回“「新選組!」最大の見せ場は坂本龍馬暗殺”と書いたが、結局はオーソドックスに見廻組実行犯説を採ったようだ。だが、御陵衛士が坂本龍馬警護をしてたり、原田左之助が坂本龍馬暗殺後に来て「こなくそ!」と叫び刀の笄を落として行ったり、突っ込みどころを丁寧に触れている点は好感が持てた。また、昨今の時代の流れに沿って、薩摩藩が裏で糸を引いていたりするのも、あらゆる突っ込みに先手を打つ方法だったとおもう。これなら、ユニバーサルにどの説を取る人にも、一応の満足が取れるだろう。
坂本龍馬暗殺と言えば、日本テレビの「時空警察 Vol.4」でもやっていた。なんつーか、同じ週の日曜日にちょうど「新選組!」でも寺田屋事件だったが、「新選組!」でも「時空警察 Vol.4」でもおりょうが龍馬に注進するのに衣服を着けていた。極めて遺憾である。べつに全裸を画面全体に出せといっているのではなく、足だけ、肩だけ、背中だけをだして差し迫る脅威に緊迫する寺田屋を表現するにはおりょうは全裸でなくてはならないのだ!……エロオヤジか俺は。とはいえ、史料的確認を取っていないので、じつは衣服を着けていたのかもしれない。
えーと、で、肝心の本題だが、「時空警察 Vol.4」では、大久保利通が何らかの手段で見廻組に龍馬の場所を教えたというのが弱った。そこが何かはっきりしなければ、薩摩黒幕説は成立しない。だいたい、実行犯=今井信郎、黒幕=薩摩は「時空警察 Vol.4」のときが初めてで新鮮ではあったが、薩摩が暗殺を計画したものなら、中村半次郎実行犯説のほうが説得力があった。だが、「新選組!」のように、きちんと薩摩から見廻組への情報リークが描かれるとスマートにいけることが分かった。これはこれで堪能できた。
坂本龍馬暗殺犯を探るのは、実行犯から探れるので面白い。ただ、なんせ利害関係が複雑に入り組んだ時代であるので、完全に特定するのは難しいだろう。本能寺の変同様、「歴史学的には謎のままである」という状態が、新史料なりDNA判定(?)なりがでない限りは続くことであろう。※個人的には、「壬生義士伝」での説はかなり説得力がある面白い説だった。
来年は、主人公こそタッキーだが、それ以外が超重厚重量級配役で、上記年配者の皆様も満足できるのではって感じだ。高橋英樹の「大好きな時代劇に帰ってきました」というコメントが泣けた。「新選組!」といい、「義経」といい、最近配役が上手い気がする。義経そのものの配役も若いわけで、義経のか弱さ、幼さ、無邪気さといったものが初めて表現できるかもしれない。
それよりもなによりも、最近なかなか大河ドラマの時間に在宅していないこと。それから、ビデオ録画しようにも某A社のテレビデオ(いまだにVHS)が欠陥で録画できないこと。これで全部見られないのが問題だ。全話収録されたDVDBOXも発売されるようなので、いい加減DVDが見られる環境が欲しいところだ。
まあ、前年度の「武蔵」と違って、普通に見てられて良かったですよ。だいたい、テレビで「見ていて苦痛、見ること事態が耐えられない」というのは異常すぎる。昼のメロドラマや2時間サスペンス、日テレやテレ朝の視聴率5%ドラマでさえも、そんなことはないのだ。今回、要所要所で喜劇作家が涙を見る側に誘っていたことこそ喜劇そのものであり、喜劇作家・三谷幸喜の面目躍如かもしれない。