「カチッ」と来る言葉

 最近、よくボウリングに行くようになった。スコアはあまり、高くない。100を越えれば良いほうである。最近はガターを出さなくなったものだが、いかんせんマークが出ない。出なければ70~90が妥当なところだろうか。アドバイスは多く受けるのだが、私の体に響く有益なアドバイスには(アドバイスしてくれる人たちには申し訳ないことに)なっていない。
 先日も友人らとボウリングに行った。彼らは私よりもはるかにボウリングの上手である。なので、私の下手な投げ方にいろいろ指摘をくれるのだが、その日はとくにスコアが伸びなかった。マークも出ない。ガターも連発した。あまりの己のヘタレさににやけている私に対して、友人がやや冷たげに一言放った。
 「えっちゃんは集中してないんだよ」
 私は、「カチッ」と来てしまった。「ムカッ」としたというわけではない。よって、「カチッと来た」というのが適切な言い回しだろう。なんでそんなに言われなければならないのか。いや、彼に悪意があったわけではなく、思ったことをそのまま口にしただけであったろう。だが、自分に対するネガティブな評価に対しては、私は繊細にならざるを得ない質なのである。私は、普段は喋りながらゲームを楽しむ方だが、その日はそれ以降、途端に無口になってしまった。眼も鋭く、自然、雰囲気もとげとげしくなった。
 言われて以後は変貌した。しばらくはその「言われたこと」自体を頭の中で悩み、特段集中力があがったわけでもなかったが、その「言われたこと」に対しくよくよしなくなり始めた途端、急激にスコアが伸びた。ストライクを3回も出したのは、私にしては上出来だったであろう。上手の友人2人とも、互角に渡り合えた(最終的に負けてしまったが)。先ほど私に「集中していない」と言った友人も、このゲームでは集中していたことを認めてくれた。自分でも、なかなかに集中できていたように感じた。
 そのゲームでは、友人2人も集中出来ていたと、後で語っていた。普段スコアが低い私が、スクラッチで彼らを越えるスコアを出していた面も、普段良く喋る私の無口さが伝わった面も、多少はあるだろう。だが、まさかそのトリガーが自分本人だったと、「集中していない」と言った友人は分かっていたかと問われれば、果たしてどうだろうか。少なくとも、自分はその種の発言を多くしてしまっているだろうが、それが人を変えていることにまったく気付けないでいる。他人の気持ちが自分と同様に分からない以上、どうやってそんなことを知り得ようか。
 普段、生活していると何気ない一言が他人を変えることが多いことに驚かざるを得ない。また、発言はその瞬間瞬間の判断で出てくるものなので、発言をしくじったなと後悔する事もしばしばだ。
 思えば、先日のボウリングの一件だけではない。高校のとき、日本史のテストが学年皆低かった。それを、友人らと前年時の担当の先生の教え方が悪かったからだと、冗談半分で話していた。そしたら、近くの席に座っていた級友が「みんな勉強していないだけでしょ」と冷たく言い放たれてしまった。そんなこと、当たり前ではないか。なんて場が読めないやつなんだ。そういう教師の悪口になったら、話を合わせるのが人付き合いと言うものではないか。彼は、そのときのテストで自分より点数が高かった。「カチッ」と来た私は、奴に日本史の点数では負けるまいと誓った。それ以降、私は日本史のテストでは彼に負けることは無かったと思う。それだけでなく、学年1位も取れたのは、彼のおかげと言うべきかも知れない。だが、彼は発言したこと自体を忘れてしまっているのではないだろうか。自分なら、そんな些細な発言覚えているわけがないゆえそう思うのであるが、どうだろうか。
 歴史には、このような日常の一こまは記録されない。本人もそういったことを証言するわけもない。だから、たとえば「なぜ本能寺を襲撃したのか」という答えには結論が出ない。だからこそ、歴史学の外では個々人が想像によって埋め合わせてよいのだろうが、その埋め合わせにこそ、個々人の生き方が垣間見える気がしてならない。
 原因・理由は些細なきっかけであることが往々にしてある。それは歴史では、小説の場以外感じ得ないが、リアルな生活ではいっぱいに感じ得る。それは、普段の生活特有の楽しみと言える。それを楽しめていない人間の歴史推理は、手堅いが面白みがない。説得力がない。
 私を育ててくれる、ひんやりとした発言をする人間には感謝している。意図的に屈辱を与える輩と違い、打倒しなければ自らの身が危ういことはない。大体の人間は、普段は親しく接してくれ、私を褒めてくれることも多い大切な友人連中なのだ。ただ、私はそのクールさを、猛烈に温度上昇させて燃え上がるのみである。私の冷徹な一言に触発される人間とているだろう。その人間に越えられるのも悪くはない。結果のみが、後世に残るのであろう。思いは結果にリンクする。思いを重視しなければ、人間は人間たり得ない。


忘れ得ぬ雑誌

 かつてのメディア市において、やろうとやろうと思ってついに取り上げられなかったメディアがある。コンピュータゲーム雑誌「LOGiN(ログイン)」である。私が戦国時代に興味を持ったきっかけは小学校のときの社会の先生であったが、父の部屋にあったログインのおまけディスク「天下統一II」とめぐり合っていなかったら、『完全戦国年表』だなんてサイトを作るまでに至らなかっただろう。いや、それだけではない。私の興味体系ツリーは戦国時代の下にほぼぶら下がることを考えれば、ツリーの頂点に位置するのがこの「ログイン」といえよう。
 小学生時代の私が手にしたのは92年のログインで、そのころはPC9801が圧倒的シェアだったが、FMTOWNSも勢いがあり、X68000も健在で、MSXが最期を飾ろうとしていた時期だった。小学生の私には、分からない記事も少しはあったが、難解で読めないということはなく、新たなるステージへと移行する助けにはなったかと思う。その後、立ち読みの時期を経て、95年の初めからは毎号買うようになった。
 ユーザとしてのコンピュータリテラシーは、ログインに負う所が大きい。また、ログインによって得た知識は、ネタ的なるものから人生にとって全く必要のない無駄なものまで幅広い。ユンケルを始めて知ったのも不定期連載の「知らなかったほうがよかった世界」だ。銀河英雄伝説、ウィザードリィ、ファンタジー、声優、アニメ、映画など浅く広く素地を作ることが出来たのも大きかった。
 幅広く歴史を知ることが出来たのもログインのおかげだ。「風雲!史学塾」は、おもしろかった。「三国時代」には影響を受けた。学者ごっこでさかしらが跋扈する戦国時代愛好者フィールドで1人孤独を感じていた身として、三国志の正史と演義の棲み分けは羨ましく思えたものだ。
 何よりも、「れたぁず桃源郷」なり「バカチン市国」なり「お利口ちゃん倶楽部」なりのバカっぷりには、大きく影響を受けたと思う。私が面白くひょうきんに振舞うことが出来るようになったのは、これら記事のおかげだろう。まあ、笑いのツボが人と違うところにあるらしい遠因とも言えるが。
 寺島令子の「墜落日誌」は、私が中高生時代に単行本を買った数少ない漫画である。日歩の日常を綴る形式の漫画としてはエポックメイキング的なものだろう。楽しい人生とは何か、考える端緒ともなった。
 ログインに限らず、アスキー発行の雑誌は編集者の個性がやたらと強く、「出版業界は昼前に出て終電で帰る、締め切り前は徹夜」ということを知ったのもこの雑誌だった。そんなわけで自分も、タバコと缶コーヒーと栄養ドリンクで徹夜のDTPをやることを覚えてしまった。イクナイ。
 ログインは96年の真ん中から、以上のような濃い内容路線を捨て、普通のパソゲー雑誌になってしまった。が、これは必要な路線変換だったと言えなくもない。パソコン普及率が大きく上がり、普通のパソコンゲーム雑誌が必要だった気もするからだ。その頃にもなると、他に買うべき本が増えすぎて、コストパフォーマンス的に割に合わなくなったこともあり、毎号買うのは止めてしまった。今も昔の名残は見えないことはないが、最近は回りに書店がないせいか、手に取る機会も減ってしまった。
 ログインによって、私のアプリケーションとも言える対外インターフェイスはバラエティに富み、磨きがかかったと言える。ログインを下北沢の書店で買って、小田急線の準急でゆっくり自宅へ戻っていた日々が、今となっては猛烈に懐かしい。新しい発見にちりばめられた、幸せな一時であった。
 ところで、ログインには「メディアマーケット」なる記事があった。「戦国メディア市」は基本的に、テレビ・書籍・ゲームが色とりどりに並んでいる「市」という漢字からのネーミングなので、意図して真似たものではない。だが、私のベースとなった雑誌にそういった名前のページがあったことは、偶然とは言えない何かを感じずにはいられない。


Theメディア市始めます

 私、Weblogをなめてました。
 イントラネット内で作成を始めてみたのですが、面白いのなんの。いや、それはWeblogだからというのではなく、ネット上でホームページを介して情報をやり取りすることの本質的面白さがWeblogには詰まっているだろうからだが。
 そんなわけで、外部に公開したWeblogを、私も一つ持ってみたくなってしまったわけですよ。
 それで白羽の矢を立てたのが、「メディア市」というコンテンツ。もう止めたのは何年前になるんだったか。今でも、結構普遍的な名前であるにもかかわらず、Googleでは私のページがトップに来る。これは、私がいっちょもう一花咲かしたろか、と決意は簡単にあっさりと出来てしまいました。
 実は、更新休止をしている私のページですが、再開後も「メディア市」を始めるつもりはありませんでした。なぜなら、当時連載していた頃と違って、いまや書籍・ゲーム・テレビの批評はインターネット上にあふれかえっているからです。私は当時、実名で勝負することに燃えていました。しかし、今さらはじめても、そんな匿名のと一緒にされるんじゃ面白くない…そう思って躊躇していたのです。しかし、自分のブログを持ってみたぁいという欲望には勝てませんでした。この状況下でどれだけ勝負できるか(自分の文章が通用するのか)やってみたい気持ちもあります。もう一度、無の状態からチャレンジしてみたくなったのです、ホームページ運営を。
 基本的には、かつてのメディア市と同じく、歴史小説や時代劇の紹介批評がメインとなるでしょう。ただ、ほかの多くのブログと同じように、覚え書き、備忘録として私が読んだ本や見たテレビ番組の感想を書き留めていく予定。ついでに、日記的コンテンツも一部こっちに書くかもしれません(私史上初?と思いきや、「町田電脳こーかい日記」ってコンテンツがあったな昔) 昔のメディア市と違う点を挙げれば、歴史ゲームについてはもうやっていないのであまり書けません。
 CGIが動く自前のサーバーがないので、どこに借りようか結構迷いました。ココログは好きなんですが、Amazonの書影を持ってくるのが面倒なようなので。結果、livedoorBlogと迷ったのですが、自分のサブドメインを持てるNewsHandlerにしました。個人でやっているというのが気に入りました。広告は表示されますが、自分の気分にあったサービサー。何よりも周りでNewsHandlerを使っている人がいなかったのが最大の決め手になりました。たまにサーバーが落ちたりすることもあるようですが、どうもほかのサービスもメンテナンス時間が延びたりサーバ以降に失敗したりするようなのでいいよね? あと、AmazonWebServiceを使っていく予定ですが、自身のアソシエイトではありません。当「Theメディア市」から購入いただくとNewsHandlerの発展のために使われるようです。うん、批判をして金をもらうのは気分が良くないのでこれでよし。
 更新は、かつてのメディア市と同じく週1程度が目安です(いまクローズドなネットワークでやっている私の日記は2ヶ月毎日更新続いてますが)。
 なんか、4年ぶりくらいに文章をネットに載せ始めたら、体調が良いのなんの。やっぱり、私の体内のリズムだったということなんでしょうね、ものを書くというのは。
 そんなわけで、地味に始まってますが、よろしくお願いいたします。