歴史の当事者になるということ

昨年の更新では「歴史Webサイト界隈の小話を書く」としているが書いていない。2022年の可処分時間は町田PCマップ2022で終わってしまった。ASAHI-NETサーバに残ったコンテンツで、先に書いた特別企画以外にもスマートフォン対応やUTF-8化など、このタイミングで一気にやりきったというところで、これはこれで大事な作業だった。

直近の話題はネット記事にするところも多いから残るだろうが、20世紀のうちに閉店したショップの情報は私がかつて書いていたコンテンツを今なお公開している「MACHIDA PC MAP」しかないというケースも多い。

歴史に関係ないWebサイトではあるが、「書き遺す」ことにモチベーションが高いのは「完全戦国年表」を通して学んだ歴史学の影響が多分にある。正しく学んだわけではないのだけども、史料はあるに越したことが無いという体感が行動に出ている。

さて、会社員として仕事をしていると、限定的なのではあるのだけど、「○○の歴史」の当事者になっていることもあるのではないか。得難い経験で、後世の人間に後ろ指を指されないような振る舞いかたをしたいとは思うものの、言うは易し行うは難しである。それはそうと、なかなか企業のことを記録するというのは難しく、社史を作るような会社でないと公になることはないのではないか。

これは会社によりけりだよなと思うこともあり、例えばセゾングループは莫大な証言が公開されている。だいたい、始祖が作家の顔を持つという時点で「強い」のだ。西武百貨店・無印良品・リブロといった、生み出された企業群も証言は多い。だから、勉強になることも多い。

昨今のコンプライアンスからすると情報統制は喫緊の課題である。そのせいで、外部の人間が好き勝手に書いた内容が正史になりかけているところもあり、忸怩たる思いもある。この「歴史が勝手に作られている」問題は問題化されてすらいない節があり、実に良くないことだ。証言だけでも残していかなければなるまい。

私も世間も、現代史を少しなおざりにしてきた。政治史すら、もう20年前のことをみんな忘れている。それもこれも、何か言説が出てきたときに「違うよ」と潰す行為をサボってきたことに他ならない。外部の人間の記述であっても、当事者の証言があれば、後世で史料検討できるはずだ。

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