私と東京読売巨人軍

 私は昔「MACHIDA PC MAP」で書いたとおり、巨人ファンである。しかし、生まれたときからの巨人ファンというわけでは、ない。
 幼い頃の私は、その日ヤクルトを応援していた。ヤクルト-巨人戦。なぜ巨人じゃなくてヤクルトを応援していたのか、はっきりしたことは分からない。だが、いつも飲んでいるヤクルトとその語感に引かれたのだろう。母は筋金入りの巨人ファンであった。昔は巨人ファンだと「王・長嶋しか知らないのかよ」と揶揄されることもあったようだが、母は今も昔も巨人ファンである。ヤクルトを応援する私、巨人を応援する母。試合はヤクルトが追い込まれていた。必死に声をからしてヤクルトを応援する私。しかし、ヤクルトは負けた。大声で泣き叫ぶ私。そんな私に、ニヤニヤしながら母は言い放ったものだった。「だから巨人を応援すればよかったのに」 その一言が、私を巨人ファンにした。たまたまだろうが、巨人ファンになってから数試合は巨人が勝っていたように思う。
 85年の阪神優勝は良く覚えていない。だが、広島と中日がやったら強い時期で、広島戦、中日戦には憂鬱になったものだ。
 朝、「ズームイン!朝!!」のプロ野球いれこみ情報は面白かった。広島(広島テレビ)・中日(中京テレビ)の勝ったときの中継の憎らしさ、負けたときの誇らしさ。そして、阪神(よみうりテレビ)の負けたときの気の張りよう、勝ったときの喜びようは勉強になった。
 小学生のときに住んでいた座間は、横浜(当時は大洋)ファンはそれほど多くなく、周りは巨人ファンだらけだったと思う。父に連れられ生まれて始めて東京ドームに巨人を応援しに行ったのも小学生のときだ。
 だが、FA制度が導入され、無邪気に選手を欲しがる監督と金万球団の資金力が一緒になったとき、巨人軍は真の意味でヒール(悪者)となってしまったと思う。松井を引き当てた長嶋監督の強運はともかく、FAの落合はいらないと最初思ったものだ。だって、原がまだいるじゃん、と。
 中学からは東京の学校だったが、はっきり言って周りはアンチ巨人だらけだった。大の巨人ファンのM君が学校に来るまでの数分、私は毎朝筋金入りのアンチ巨人であるS君の猛攻に耐えなければならなかった。
 私は、巨人ファンとしてはゆがんでいると思う。巨人ファンは皆ゆがんでいるだろ、という指摘はそのとおりかもしれない。負け続けても耐え続けて、優勝の美酒の味を正しく味わう阪神ファンに比べれば。スタンスとしては、負けるとメガホンを外野に投げ込む俗悪なファンと一緒だろう。チャンスで打てない打者には容赦なくテレビに罵声を飛ばした。「清原西武帰れ」「江藤広島帰れ」…FAで去られた先の球団のファンの方が聞いたら私は刺されるであろう。基本的に若手も同じ。「死ね」「逝ってよし」「2軍帰れ」などの罵声は当然である。だって、こんだけ金を積んでいるのだから、ぶっちぎりで優勝しなければ詐欺じゃないか。このあたり、巨悪の根源ナベツネ前オーナーとシンクロナイズド出来てしまっている感はある。その罵声をかけない例外は、松井秀喜と長嶋終身名誉監督だけであった。これはジーコにもいえると思うのだが、基本的に長嶋監督は神であり、その采配は(たとえ客観的に見ればヘボ采配でも)絶対である。悪いのはひたすらに選手の方である。なので、その神がかり的ヘボ采配によってしくじる選手には容赦なく罵声を浴びせていた。テレビに向かって。…これは、母もあまり変わらなかった。父は呆れていたと思う。ひとたびホームランが出れば雄たけびを上げる。おかげで日テレのアナウンサーが絶叫していただなんて、シドニー五輪サッカーの時に明石家さんまが指摘するまで気づかなんだものだ。
 野球というものはファンとなる球団を持ってして、他球団のことも見えてくるというもの、広島や中日、ヤクルトは資金のやりくりをしながらいいチームに仕上がっていて、いい勝ち方をされたときにはやられたなァと素直に思える。横浜は「大ちゃん」が魅力的だったのもあるが、大魔神佐々木を打ち崩すのが快感だった。だから、8回までにリードして来れた時はやすらぐものだ。阪神は強くなって、昔のように貯金シリーズと思えなくなった。7時に帰って野球中継をだらだら見ながら過ごすのは至福の一時だ。
 巨人はテレビで全国放映されるせいもあって、東京の球団ではなく、全国の球団となってしまっている面はある。たしかにゆがんでいる。ただ、巨人だけバッシングされ続けるのをみていると、純粋に巨人が好きな子供たちが不憫な気もしている。あまり謂れのない巨人批判は、「巨人中心」の醜悪な流れを維持し続けるだけだろう。
 翻って私には、その巨人に負けない愛情が注げそうなチームが現れた。「後出しジャンケン野郎」楽天イーグルスである。ライブドアの方が先に名乗りをあげてくれて、それはそれは感謝にたえないが、やはりそれでもか弱い東北のチームを見ていると、東北在住の私にとってはつい応援してしまう、しまわざるを得ない風土がやはりこの地にはある。中畑清が「SportsMAX」(NTV系)で「東北の人は負け続けても応援し続ける」と言っていたが、それは真だと感じる。なにより、巨人じゃないチームはこんなにもチームとの距離が近いのかと少しばかり驚いた。あれだけのチームでぶっちぎり最下位にどれだけならずに済むか、これからずっと温かく見守っていきたい。


「おべんとばこMac」Mac mini

Mac mini速報レポート::PC Watch
早速分解してるし…(笑)
Mac miniはG4 Cubeを彷彿とさせるつくり。正直ローマシンでOS9で動かしているデザイン事務所も多いと聞くけど、これがOSX移行の起爆剤になるかもってくらいデザインが重視されていて正直びっくりした。499ドルMacって聞いて、もっとかつてのPowerMacintoshみたいなのっぺりしたマシン出してくるかなとか思っていたから。メモリだけは不足で1GBにしようとすると割高になっちゃうけど、ビデオまわりが値段の割りに高性能。小汚い部屋に雑然とおくのに向いてるかも。iMac G5の時ほど欲しいとは思わせないけど(結局買える値段ではないんですよねー<iMac G5)…お金あったら買ってしまいたかったなあ。PC用のキーボードとマウスが流用できると宣伝していたり、今までとは違う何かを感じる。
でも、さっそくここの記事のように「Mac on Linuxで使いたい」「BSDを…」と、脱OSXをしたがる風潮が出てきたあたり、Appleってばやっぱハードウェアメーカーなのかと寂しくなってくる。でも、実際これでうごくPCなりサーバなりがいまのところないから仕方ないとも言える。
ただ、今日実際に実機が出てくるようになってびっくりしたのは、そのACアダプタのどでかさだ。本体が小さいというべきなのかどうか。
実際、箱に入れて持ち運び、キーボードは各行き先においてあるフルサイズのものが使えるのは大きな魅力だ。ディスプレイもたいていの場合にはあるに違いない。もしかして、鞄の中に雑に入れても大丈夫なのではあるまいか? さらに、MacOSXは(なんだかんだ言われても)Unixの血を引いているので、SSHクライアントも標準でないWindowsに比べて都合が良いことが多い。
世の中的にはiPod shuffleのほうがインパクト大だったのかもしれないけど、やはりこーゆー個性的なモノは気になって仕方がない。
…なんか、PC関連の話をインターネットで書いたのは「MACHIDA PC MAP」閉鎖以来久々か。コンピュータはやはり楽しい。


なぜキーボードを叩き続けるのか

関満博をはじめて知ったのは「週刊東洋経済」のある記事だった。修士課程から大学に浸ることなく、実社会に出て経験を積んだ経歴が大学教授の中では異彩を放っていた。いや、もっと鮮烈だったのは「古今東西の専門書50冊を買い込み、1分野3ヶ月で読み終える、3ヶ月の終わりごろには寝不足になるので立って読む」という強烈な勉強手法、それから「妻が小説家の娘で、家とは本だらけであるもの、そういう生い立ちであったことは私には何より救い」というのにギャフンとしてしまった。
それからしばらく。書店にはいるたびに、紺色の「すごい本!」という帯が何回も目に入るようになった。 山形浩生の朝日新聞書評からだった。インパクトある帯をちくまもつくったものだとおもう。そこで初めて私は本を手に取った。旅行時の荷物の写真が目を引いた。だが、それだけでは買うわけには行かなかったのである。
だが、必要あって私は前述の週刊東洋経済をひっぱっていたら、なんとあの新書はあの関満博の著書ではないかとはじめて知るに至った。かくて私はこの本を購入したわけだ。
で、読んでみて。今までの「知的生産法」系という本の中では1番良かったと私は感じている。と言っても、10冊はまだ読んでないのだけども。この本のポイントは、現場主義を徹底させる「薀蓄」 実際の取材の事例が参考になるうえ、手荷物を徹底的に削減しフットワークの良さを確保するオタクなまでの追求がかなりアツい。実際、空港で待ちぼうけするのはイヤだし、私の経験からも史跡を歩くとき、小駅のあるかないか分からないコインロッカーが埋まっていて重い荷物をもって歩き回るより、軽い荷物でフットワークよく、駅に着いたらすぐ歩き出したほうが効率が良い。
一方で、現場調査→執筆活動というサイクルを泥臭く語っているのもポイントだ。生産性を上げる「巧い手」が無いことを喝破したうえで、書く時間を確保するためのエピソードが面白い。「とにかくキーボードに向かう時間をひねり出し、余分なことを考えずに、叩き続けることであろう」と、あらゆる知的生産を行う人間に覚悟を迫っている。だが、ここまで述べてきたことを考えれば、その覚悟は容易にできそうな(否、してしまいそうな)カラクリになっている。そこに、著者と著者を乗せた編集の巧さを感じ得る。
同様に、本は「売るもの」という指摘も虚を衝く突きだ。証言を残すために筆者が行う努力は凄まじいの一言である。〆切をはるか前に原稿を入れる、編集者を悦ばす術が、信頼できる人を推薦する資産になる話は、〆切当日にならないと何も仕事をしない私には耳が痛い。
酒席で「志」を語るかたちは、いわゆる社会科学の大学現場において古くから使われてきた方法だと思うが、その古き良きメソッドが健在であることを実感させてくれた。人との交際こそ、知的生産において最も達成が難しく、必要な分野であるが、その体験的方法論がさらりと触れてある。
旅行で衣類は捨ててくる、論文はラブレターのように書く、整理をしただけで仕事した気分になるのは良くない、共著の意義…珠玉の至言が多いが、ウットリさせてくれる飴のような甘美さはなく、むしろ夏に夕立の中を駆け抜ける爽快感が読後に残る。痛くはないが、これからどうしよ、と少し心弾みながら楽しく困るあの感じだ。
「楽しさ」が工場の現場には落ちていて、それが町に根付いている。それに触れるのもまた楽しさであり、それがために己を磨く楽しさがある。人の心はこうもウキウキするものかとまだ若い(と思っている)自分に示してくれた。知的生産(あるいは知的生産っぽいこと)をする人間にとって、この手の燃料は得がたいものだ。各地を飛び回ってなおキーボードを叩くことの嬉しさを改めて教えてくれた良本だ。