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講談社現代新書の自殺

 近年、新書ブームが巻き起こり、書店の新書コーナーは百花繚乱の様相だ。新書は、まずその装丁で、新書のイメージがまずプリセットされるものである。
 新書ブームの先駆け、PHP新書と文春新書。PHP新書の赤茶色と明朝体にまずは惹かれた。文春新書はデザインとしては真新しさはないが、濃紺と白色の地が新書の知的さを醸し出してくれ、その後文春新書はよく買うようになった。
 集英社新書の「銀」も悪くない。贅肉を感じないシャープな感じは先進的内容によくあう。カバーではないが、ちくま新書の独特のタイプグラフィーも好きだ。良書を絶やさずに出してきた筑摩の志が心地よい。「バカの壁」で強烈なデビューをした新潮新書。「新」の字が2つあることも目を引くが、「金」のイメージが華やかさを演出し、ざっくばらんに物事を語ってくれそうな気楽さがある。もちろん、岩波新書の旧赤や緑、黄色はそれだけでここまで続いてきたことへの敬意を抱かせてくれる。中公新書の深緑は、歴史愛好家にとってとっても身近な安心感だ。
 で、私にとっては、やはり「3大新書」は、岩波新書、中公新書、そして講談社現代新書である。中学生の頃は、学校の図書室にある古ぼけた冊子の中のワンポイントの絵が気になっていた。背表紙をナナメ読みすると、興味を持てそうな内容があるではないか。講談社現代新書表紙の「絵」は、新書への誘いとして確実にあった。
 今秋、講談社現代新書がリニューアルした。表紙のデザインは、(当然)新進気鋭のデザイナーによるものであり、1冊単体では隙がない。デザインのセンスは、新書の中でも上位かもしれない。文字の配置も唸らせてくれるし、真ん中の四角形が知を突きつける。が、問題は色である。
 ケバすぎる。
 新書は、当然平積みもされるが、基本は書棚に並べられて売られるのが基本だと思う。なんと、ご丁寧にこれまでの冊子をすべて新装に置き換えて売ってくれている書店があり、その書店では、講談社現代新書の棚だけがメルヘンワールドである。原色が派手に自己主張し、明らかに書店で浮いている。雑誌の棚の、雑種な色彩が花畑のように見えるようなほほえましさはそこにはない。書店で眼が疲れるだなんて初めての経験だ。これでは、新書を買うときの醍醐味、「新書の棚を追って面白そうなタイトルを見つける」なんてことは出来ない。背表紙の文字もウェイトが高く、その上背表紙の地色によって白だったり黒だったりする。
 エコノミスト誌(日本版)によると、いちいち違う絵を入れていたので、講談社現代新書は他の冊子よりコストがかかっていたそうだ。それを止めるのは別に否定しない。だが、あの背表紙だけは何とかならなかったのか。デザイナーだけの責でもなかろう。講談社現代新書編集部の要望も大きく新装丁には取り入れられたのだろう。一体どういう意図なのか、理解に苦しむ以前にその発想に全くついていけない。
 せめて、「新版」として新刊のものだけに適用して欲しかった。私はデザインに関してはストライクゾーンが広い方だと思う。たとえその結果可読性、視認性が下がったとしてもデザインの意図は分かるものだし、それが人々の魂を振るわせる。もちろん、両方を兼ね備えた完成されたものにはいつも唸らせられる。デザインというものがここまで「害」を撒き散らす例を、私は初めて見た。


テレビの愉しみ

 TBS「4月改編」早すぎる発表波紋…みの起用など::ZAKZAK
 またTBSが我慢できなかったのかという印象だ。「ウォッチ!」が上向きならそのまま嘗ての「めざましテレビ」のように我慢し続ければ定着するのに、みのもんたをウンと言わせて嬉しくなってすぐ発表。なんか、かつて露木茂氏を司会に抜擢した「おはよう!グッデイ」を思い出す。みのもんたが「サタデーずばッと」で調子いいというが、一体みの新朝番組はどこから客を奪うのか? まずめざましから若い層は取れないし、やじプラ見ているコアな層は取れまい。すると、ズームかNHKから奪うしかないが、そんな視聴習慣を変えてまでみのにスイッチする人間、家庭がどれほどいるのか。
 ぐだぐだの昼改変は良いとして、問題は「ニュースの森」撤廃→ワイド化だ。
 「ニュースの森」は、「民放のNHK」と謳われるようになり、「報道のTBS」と称されるようになった端緒となった番組「JNNニュースコープ」を引き継ぐ番組だが、先のオウムビデオ事件での対応(「ビデオを見せた事実はない」と主張」)や、その前のTBS自身をめぐる報道で自身に甘い報道をして、まさに「報道のTBSの転落」を見せ付けてくれた番組である。
 しかし、私はこの番組の歴代オープニングテーマが好きで、冒頭だけは良く見ていた(笑)。関東を離れてからは、地元ローカルニュース番組の出来が良く、これと併せて見ることも多くなった。
 何より、「NNNニュースプラス1」と違い、夜23時代のニュースで使いまわされることは少ないし、あの時間帯のニュースでは一番硬派だろう。関東にいた頃見てた限りでは、18時21分以降に社会問題を比較的よく扱う番組だった気がする。また、関東ローカルニュースに一番力を入れていたのも、「ニュースの森」ではなかっただろうか。
 「ニュースの森」は、関東圏では唯一の、全国ネット開始時間=関東での開始時間のニュース番組である。関東では生活情報番組化したニュース番組の裏で、TBSはドラマ再放送をやって、その時間帯1位になることもあったのではないか。「ダブル・キッチン」の再放送では、その週のドラマ部門トップ10に入っていた。TBS系列の地方局では、「どさんこワイド212」のような日本テレビ系列の地方ワイド番組に悉く惨敗し、「水戸黄門」の再放送で張り合っていて、これはこれで正しい選択だと思う。それが、16:54開始でしかも17時代に全国ネットをするという情報もあり、もし仮にTBSが「JNN」を冠にかけてしまえば、「JNN協定」でTBS系列局は放送せざるを得なくなる。そんなことをしたらTBS系列の地方局は壊滅だろう。ニュースで地元ワイドに勝てるわけがない。自然、18時18分からの地元ローカルニュースの低迷に繋がること必定だろう。
 正直、関東での17時代は芸能情報を扱わなければ視聴率は取れないと云われて久しい。「Jチャン」が堅調なのは奇跡的だが、「スーパーニュース」が撤廃した3時代ワイドショーの内容をここに持ってきていて断然強い。せっかく地域密着、商店街情報を扱い、「地元ワイド」をやってくれていた「ニュースプラス1」(当時 18時代No.1)が「エンタメ5」なんてやりだしたのも、17時代はスーパーニュースに屈したためだろう。
 9月リニューアルの小倉アナと池田キャスターはいい感じで、ポスト杉尾を担える逸材だっただけに(交代なら)残念である。あと、服部氏のオープニングテーマが好きだったのにな… 17時代にTBSのドラマを見ていたひとは、きっとスーパーニュースかプラス1に難民として流れることだろう。
 わたしは、TBSが嫌いではない。報道のスタンスに疑問を抱かせることも多いが、海外支局のネタは民放ではズバ抜けている。地方局が東京に上げてくるネタは中々の上物が多い。なにより、ドラマは筋書きで見せてくれるものをこれまで多く見てきたし、家族皆で見ることの出来るバラエティといったらTBSだろう。
だが、正直来年のTBSは、テレ朝に抜かれること必至な感じだ。別にわが道を行くのはかまわないが、死に至る病にだけはなってほしくない。
 と、こんなことを勝手に心配するのが、テレビの愉しみってもんである。


「東京は毎日、祭りみてえだ」

私がまだ生活基盤を東京においていた頃は、あのつんく♂が嘗て「LOVE論」(新潮社;現新潮OH!文庫)において、“いなかの子にすれば「東京は毎日、祭りみてえだ」って思っても全然不思議じゃないようなテンションの高さだ。”と書いていたのが、どうもピンとこなかったものだ。しかし、地方の村に移り住んだ今となっては、それが全くもって実感できるようになった。
東京に帰ると、まず東京にある駅の人の多さを感じずにはいられない。座れない電車、ぞろぞろと同方向に歩く密集した群集、そして、高等種別列車で通過する駅の人の多さ。さらに、各駅ごとに拡がる街の灯りを見るにつれ、東京が実は毎日ミレナリオだということを感じずにはいられない。
人の多さと灯りだけではない。決定的な違いは、街に流れる音楽である。有線から流れる音楽は地方都市でもあるが、独特のメロディーの有無が決定的に違う。
私が最近、往時を懐かしむままに購入した2枚のCDは、それを痛感するに十分なものだった。
秋葉原や新宿西口は音楽の宝庫である。エレクトリックパークから流れるイケイケドンドン、ちゃんちゃんばらばらちゃんちゃんばらばらの音楽は、まさに東京、大阪特有のものである。このCDには、ヤマダ電機やコジマのものも含まれ、それらは地方でも流れている。しかし、そういった郊外の家電量販店は、密閉した店の中でのみ流れるメロディーであって、秋葉原や新宿西口のように、開放的な店構えから洩れ伝わる音楽に乗せられるままに店の中に引き込まれるといったことは無いように思える。
私がとくに好きなのは、「Hello, Sofmap World」だ。もともと、ソフマップが好きなこともあるが、歌詞が人類愛に満ち溢れるパソコンショップ離れしているところが良いではないか。店の中では、さらに様々なバリエーションもあり、全く飽きさせない。「洗脳ソング」とも揶揄されるこの破壊力が、私は大好きなのである。
また、それら個性的な街と街をつなぐ鉄道も、東京は違う。
JR東日本が、発車ベルをメロディにすると聞いて、当初は幼心に違和感を覚えたものだった。しかし今では、京浜東北線や中央線に乗ってドアが開くたびに音楽が流れるのは、華やか極まりないと感じざるを得ない。北千住駅や蒲田駅など、ごくたまにある個性的な発車ベルのなる駅を通り過ぎるときは、読んでいた文庫本を到着前にいったん読むのをやめ、そわそわしだしてしまう。鳴り出すと、「来たなア」という満足感でいっぱいになる。そして、結局ベルでもメロディーでもやっている駆け込み乗車のあのスピード感が、都市のせわしなさを思い起こさせてくれる。スローライフなカントリーライフからすると懐かしみが零れてくる。こんな愉しみは、JR東日本の首都圏輸送区間でしか味わえない楽しみだ。
JR東日本 駅発車メロディーオリジナル音源集を買ってしまったのは、鉄道好きの私の為せる業だが、最初はあまりに綺麗なメロディーとなってしまった発車ベルに違和感があった。CDと駅のスピーカーでは聞こえ方がやはり違う。だが、発車ベルがこんなに音楽性あるメロディーラインをかましていてくれたことに、驚きの念を禁じえなくなっていった。下りホームに多さげな「see you again」や、中央線特急ホームの「美しき丘」、東京で聞くものではないが、はやて開業で使われるようになった「風と共に V2」あたりが、私の中に風となって吹き抜けていくメロディーである。
ともすれば気分が落ち込むこともある都会暮らし。しかし、街に出れば否が応でも、灯りと音が励ましてくれる。東京に生きることは、明るい人生を強制させてくれるところがある。
だが、あまり賑やかなところに住み続けるのも難しい。地方の住まいには、「静粛」という至高の音楽が流れている。この価値もまた、棄て難きものである。どっちも欲しい、これでは駄々っ子ではないかと自分をほほえましく嗤わずにはいられない。