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広角デジカメCaplioRXを買う

デジカメをソフマップギガストア町田店で中古で買ったのは、MACHIDA PC MAPでショップの写真が必要だったからだ。フジフィルムのDS8。35万画素のデジカメで、その後仲間との城巡りにも大活躍、ズームつきのDS30の乗り換えて、バカ写真がたくさんとれるデジカメを古くから使い倒していた。
 しかし、その後デジカメを買いなおすことも無く今に至るまで35万画素のデジカメでDTPに使えないどころか、ブロードバンドの影響でWebでも使えるのかどうか怪しげになってきた。だいたい、雨の中撮った函館山の夜景でデジカメそのものにガタが来はじめた。それでも5年間使い、ようやく(?)あきらめて買ったのがケータイ電話SH505i(メガピクセルケータイ)というのだからお笑いである。
 しかし、今回ついにデジカメを衝動買いしてしまった。RICOHの広角デジカメの2代目、CaplioRXである。
 DS30も32mmからとそこそこ広角だったものの、それでも撮影対象が納まりきらないことが多かった。広角の必要性は、35mm~というデジカメを借りて使っていて身にしみていた。
 もちろん、R1もR1vもR2もあったわけだが、R2はまだ価格がこなれていない、R1はそこそこ安いけどもバッテリつきのR1vとの価格差を考えると悔しくなってくるので、電源の入れ方・レンズのしまい方が好みなRXを敢えて選んだ。
 最初使い始めてみて、「これは失敗したかな」と思うこともあった。望遠のレンズの暗さ、ズーム・ワイドボタンのふにゃふにゃ感、フラッシュをたくのに時間がかかる(内蔵バッテリでも)…
 しかし広角28mm、これの恩恵は悪い点すべてを吹き飛ばすほどである。デジカメをもって仲間たちと自分撮りをしても、まず外れない。せいぜいが高さだけが合わない程度。歓送迎会シーズンでこれが大活躍した。
 良い点は他にもある。風景ひとつ撮ってみても、今までのデジカメで満足できなかった壮大な納まり方をしてくれる愛い奴である。あと、色調が意外とナチュラル。どぎつさもなく、素材を活かしすぎてもおらず、中庸な色加減が素敵である。半分に縮小してみる分には最強である……等倍するとちょっとがっかりするんだけど、実際写真Lサイズで刷ってみても「等倍」なんてそんな機会ないかな、と自分を納得させてみる。1cmからのマクロ撮影は、面白い。食品に関して、どきっとするようなドギツイ写真も取れる。花も撮ってみたが、こちらは難しい。フラッシュのたき方、影にならないような工夫が必要なようだ。
 ただ、手ブレは思いっきり、する。下手したら1番手振れするデジカメかもってくらいに。ただ、暗いところでならAutoでフラッシュをきちんとたけばかなりまともに撮れることが判明した。まあ、フラッシュ禁止のところで撮る機会も多く、今後それが出来ないのは残念であるが。LUMIXのFZ1でも被写体ブレや極度の手ブレはカバーできてなかった印象があるので、これは注意次第だろうか。究極には、フジのF10のような解決法がいいんだろうが、広角じゃないしなあ(DIGICを積んだCanonのPowerShotS60ならいいんではともいえるが、流石にポケットにぞんざいに入れられないサイズになってくるので)。
 メニューも使いやすいし、「割り切り」さえあれば最高である。ビジネス向けメモ用デジカメという称号はそのとおりである。


書店のブックカバー

 地球のことを考えれば包装は必要最低限がよいのだろうが、いつも本を買うたびにブックカバーをしてもらっている気がする。本はブックカバーをつけてもらえればよい。複数冊のときは輪ゴムで束ねてくれればよい。本を紙袋に入れるのなんて邪道である。それこそ資源の無駄である。
 やはりブックカバーはつけて欲しい。ブックカバーがないと、本棚に入れるときに帯を傷つけてしまうから。どうも、中学生の時分、国語の先生に「帯のない本は価値が下がる」といわれたのを真に受けてしまったのか、出来るだけ帯が付いている本を歩き回って買ってしまう。それからあとは、電車で読むときに、何を読んでいるか他の人に知られたくないという理由もある。知られたくない本を読んでいるわけではないのだろうが、あまりそういったことで構われたくない性分らしい。
 ブックカバーにもいろいろある。今回はやや首都圏ローカルな話になるかもしれないがご了承願いたい。
 だいたいの書店のカバーは似たり寄ったりだ。丸善と書泉グランデ(ブックタワー)、紀伊国屋書店、久美堂と三省堂、博文堂書店や文教堂書店、ブックガーデンからTSUTAYAのカバーは大差がない。紙質の違いは多少あろうが、私から見たら全部同類項に分類したい。丸善や紀伊国屋書店が全国に散らばっているのには目が行く。書泉グランデのカバーの黒は目立つ。
 ただ、有燐堂の文庫本カバー、あの色が選べるというのが人気だそうだが、自分はワインレッドか青ばっかつけてもらっているようでその恩恵にはあまり与れていない。しかし、手触りがよいのでそこはかなり気に入っている。文庫本と同じ高さしかなくて書籍そのもののカバーにもう一枚って類の、固定できないブックカバーは好きではないのだが、あれだけは例外である。
 LIBLOのブックカバーは、一見他の書店より安っぽい素材なのだが、これが持ち心地が良い。手に馴染む、いや指を掴んで離さないと言うべきか。よく高校時代に単語集のカバーに転用していた記憶がある。最近久方ぶりにLIBLOで文庫を買ったら、文庫だけは絵が描かれたほかの書店と同じようなカバーで、残念。
 最近新幹線に乗ることが以前より増えたので、新幹線の時間待ちで八重洲ブックセンターへ行くことが多くなった。ここのカバーは花の絵をあしらっていて、美しいの一言。乙女心をくすぐるというか、メルヘンな気分にさせてくれる。うっとりするのに最適なカバーである。
 ただ、私が思う最強のブックカバーは蒲田や横浜にある栄松堂書店のカバーだ。ここの店員のカバーのつけ方は「神」の一言。カバーを手で切ってつけるのもここだけではあるまいか。つけてもらったカバーはまずズレない。本の背と表裏にしっかり意匠がジャストフィットする様が凛々しい。大切な本になりそうな一冊はこのカバーにしたくて、いっつも相鉄ジョイナス4階に足を運んでいたのを思い出す。
 正しくは「書皮」と言うのだそうで、「カバー、おかけしますか?―本屋さんのブックカバー集」という本もあるようで、思わず買いたくなってしまう。紀伊国屋書店のカバーが思い出せなかったので、書皮の名刹を参考にさせていただきました。新宿・渋谷の本屋をいろいろ見ることが出来て、楽しい。
 どこの書店でも同じ価格。やはり、探しやすさ(めぐり合う可能性の高さ)と、ブックカバーが書店選びのキモとなる。ただ、地方暮らしでAmazonに注文してしまうことが多く、電車に乗らず家で読む機会が増えたのでカバーもいらなくなってきた。やや寂しいのだが、盛岡にあるさわや書店のカバーが、盛岡の商店街の地図をあしらったものになっていて、こういうオリジナリティあるカバーを見るとうれしくなるのは相変わらずである。


奥州市、誕生

 胆江新市名 「奥州市」に::岩手日報
 私の親友であるtakaの出身地である江刺市が、市町村合併で「奥州市」となることが決まった。江刺市といえば「炎立つ」以来、「えさし藤原の郷」の壮大なロケセットと多く残る大自然をバックに、戦国モノを中心として、直接江刺とのゆかりがない大河ドラマのロケ地も務めてきた自治体である。今回の「義経」でもメーンロケ地として毎週大河ドラマのオープニングテロップで名前が堂々と表示されている。私は以前より「江刺」という地名に、岩手らしさを感じていた。
 まだ慣れもないので、賛否の「否」があるのは当然だと思える。ただ、ひとつの新しい市が生まれるときは、とりあえずは祝福したい気持ちである。なによりも、決まった市名を旗印に一致団結していくのだという言葉が、奥州市の市役所が置かれることであろう水沢市の現市長から聞けたことは何よりも頼もしく感じる。水沢も旧城下町といってよい土地であろう。またひとつ、中心部を関した市の名前が消えるわけだ(別にそういった流れに反対しているわけではない)。
 ただ、最初の候補10個のうちtakaが「日高見市」というのが違和感がない、小さいときから親しみがある、これが良かったというのを聞く機会があり、これは私にとって有益な話だった。「日高見(ひたかみ)」は北上に訛る以前のこの地方の呼び名で、肥沃な土地と屈強な兵士を持ち大和朝廷にも屈しなかった旨が、日本書紀にも記されているのだという。もっとも、宮城平野から下北の当たりまで広くさすようではあるが、「奥州」よりはやや狭いか。宮城のほうから物言いがあるかもしれないが、それは東北地方全般からの物言いが予想されうる奥州市とて同じである。
 雄大な自然を擁しながらどうも安比高原に知名度で劣る、西根町・安代町・松尾村の新市名「八幡平市」の例でもないが、市町村名にして知名度を挙げるというのも一つの市名の決定法だろう。平泉文化も良いのだが、アテルイ、坂上田村麻呂以前ももっと売り出していけるよなあと「日高見市」にはおもうのだ。北海道ひだか市のときも候補にあがっていたみたいで、日高山脈も「日高見」の流れを汲むのだろうか。
 だいたい、日本書紀の記述なのに、「蝦夷」のように変な漢字があてられてないというのは気になる。東北地方に残るアイヌ語起源らしき地名には、謎ときが楽しめそうな要素があり、まだ調べつくされていないこともあり興味が非常にそそられる。
 まあ、市町村合併のほうはこんなこともあって、まだ紆余曲折がありそうだ。