2013年01月一覧

第2回・やっぱり視聴率ねらいだったのね?

96年度大河ドラマも大好評のうちに終わった。竹中直人さんや、渡哲也さん演じる織田信長の好演技が光り、日本人に人気の高い秀吉を見事なまでに映像化した。

が、しかし・・・・

一部の濃い人・・・・戦国野郎とか・・・・そういう人には不満がたくさん残った。その不満なところを今更ながらあげてみたい。
1.史実と完全に違うところがある。
ここで言いたいのは、本能寺の変徳川家康黒幕説や明智光秀の妻に、光秀の首が渡り、それで入水、といったことではない。思いつくだけあげてみよう。一つ、武田信玄が約4ヶ月早く死ぬ。秀吉が信長に信玄の死が間違いないと告げに言って自宅に帰ると、おね(ねね)が正月の準備をしている。よく考えてみよう。信玄の死は1573年4月12日である。もし、岐阜にまで年内に死んだことが伝わるのであれば信玄は、三方が原で戦死したことになる。それも、おおっぴらに信玄の遺品を石川五右衛門がごときの身分の低いものに与えていたのならば、信長の乱破がすぐさま情報をつかんだだろう。後次々に連ねていくと、正徳寺の会見のときなぜか10歳の竹中半兵衛が出ている、とか、明智光秀の母処刑のときになぜか秀吉が丹波に来ている、細かいものをあげていくときりがない。私は、別に史実でうまく分かっていない点や隠された点を思い切った説でやるというのは許されると思うんですが、史実を捻じ曲げてまでドラマのテーマを貫くというのには承知しかねる、といいたいわけですよ。分かってください。
2.秀吉が英雄すぎ
いくら秀吉が主人公だからって、悪逆非道?の信長に、比叡山攻めをやるな、とか、はくだみの盃をいけない、とか、明智光秀母見殺しについて「鬼!」といって刀振り回したら、秀吉はこんなに出世しなかったでしょう。妹を徳川家康に嫁がせたり、朝鮮出兵などを家臣のやったこととするのもちょっと。秀吉だって悪事を少しくらいしないと天下取れなかったわけだし、人間として晩年には耄碌したんだから、あまり神格化しすぎ。
3.キャストにびっくり。
これはどうでもいいことです、今となっては。皆さん迫真の演技だったんだから。織田信長とか竹中半兵衛とかがあまりにも老けていてどきりとしたけど。でも、アドリブで主君に向かって刀振るのはやめてください、秀吉役の方。
しかし、捨てたものがあるんだから、拾ったものもある。「家族」を中心に描いたことで、歴史マニア以外の人に大変受けがよかった。だいたいNHKは一回「太閤記」をやっているんだから、思いきったことも必要だったのでしょう。総括して、「いい時代劇」でなく、「いいドラマ」だったんじゃないかと。

新しい大河ドラマの「毛利元就」は、いい時代劇かついいドラマではないかと。何しろ資料の少ない時代だから、自由がきくわけです。最初、時代劇は初めて、という脚本家だときいて、心配しましたが、今のところ全然平気です。

ところで、大河ドラマには、公式ホームページがあり、各週のあらすじが分かるお得なページです。アドレスは、これだけぼろくそ書いてしまったのでかけないんですが、NHKホームページのどこかにあるとだけ書いておきます。

これだけ書いた以上、責任はとるつもりです。どんなメールが来ることも覚悟の上です。じゃ、自分でやったらどうなのか、と言われても、困りますけど、そこが何かを評論するときの難しいところです。

ビビっている筆者

DATA:NHK、大河ドラマ「秀吉」

(初出:「戦国メディア市・第2回」1997.2.3)


第1回・あの人を、よくここまで美化したな・・・

で、第1回から漫画なんですけど、ほんとは歴史小説をあげたかったんです。しかし、忘れてしまいそうなんで、この本を。

私が小4のとき、社会の先生が戦国時代の話しをしてくれて、なぜか、徳川家康に興味を持ったんです。それで、移動図書館の貸し出し券作って、学研まんが・人物日本史の徳川家康を借りたんです。そうすると、徳川家に愛着を持つようになったんです。(これがきっかけで、現在では石田三成が大っ嫌い)

で、なぜかつぎに借りたのが「淀君」なのであります! 大河ドラマでは松たか子さんが演じてるこの人、美貌で秀吉をメロメロにさせ、政治を知らないのに、我が子秀頼に口を挟み豊臣家を滅ぼしたという印象が非常にでかい。し・か・し、これを読めばそんなのがぶっとびます。

まず、北政所ねねが悪人にみえてくる。捨て(鶴松)を取り上げ病死させ、豊臣滅亡後も幸せに暮らした、という設定としか思えないのだから。

しかし、妹2人と、敵・味方に別れてしまったことが哀愁的に書かれていて涙を誘う。戦国の悲劇が手に取るように分かる。

淀君が嫌いだけど、松たか子命!という人に御勧めの一冊ですよ。ところで、この本を最初に読んで、戦国の一般論を間違って刻み付けられた私は・・・・・・

いまではアンチ淀君の筆者

DATA:学習研究社、まんが・さかぐち直美
(初出:「戦国メディア市・第1回」1997.1.26)


完全戦国年表16周年特別企画・戦国メディア市復刻版

仰々しくリニューアルした[BLOG M]、華々しく始まったメルクマークタイムラインズであるが、更新の音沙汰はない。自分で言ってどうする、という向きもあるが、本日1月26日は完全戦国年表の誕生日である。忘れられない記念日なので、少しばかり踏ん切りを付けて何かしよう。
それで過去記事の再掲ってショボって話もあるが、「戦国メディア市」は当時反響もなかなか多かった。第2回のNHK大河ドラマ・秀吉を取り上げた回は1年近く散発的に反響があった。ネット界における大河ドラマへの不満の魁でなかったかと思う。
「戦国メディア市」は、年表だけじゃ味気ないしってことで始まった苦肉の内容だったが、「完全戦国年表」のサイトとしての特性として常にコンテンツが追加されていくわけで、唯一の更新されるコンテンツとしてアクセスを稼ぎ出していた。「戦国メディア市」は、ブログを先取りしていた。ASAHI-NETサーバはCGIも動かず、コメント欄やトラックバックもなかったのでコミュニケーション手段はメールに限られていたが、自分から自発的にメールをするというような積極的なタイプでないわたしにとっては、「戦国メディア市」への反響のメールによってネットでのコミュニケーションの経験を得ていくことが出来た。また、何かを批評する、何かを読んで文章を書くことが出来るようになったのも大きい。国語が得意でも読書感想文を書くのがキライだった私にとって、「疑って読む」「人に文章で勧める」といったことが出来るようになったのはあまりに大きい。
今は個人でこっそりやっているブログやら、twitterにFacebookほかのSNSまで、書くところが増えてはしまったが、やはりメディアにあふれており話題には事欠かない。私のメディア批評の原点は「戦国メディア市」にある。
物書きの原点という意味で、もう1回読んでみるのも良さそうである。温故知新という考え方もある。とりあえず、koboじゃないけどコンテンツ水増しするぞー

(追記)大事なことを書き忘れていた(汗)。今回、完全戦国年表公開と同時に公開された第1回から最終回前の第29回まで(※第20回を除く)と、1999年1月1日の完全戦国年表更新休止宣言から2年ほど続けていた「試験電波発射中」で公開をアナウンスした「戦国メディア市総集編」の第1回と第2回になります。第20回と最終回は再公開をしない予定です。第20回が再公開されないのは、この回は特別編成で、私が小学生の時につくった「戦国新聞」の再現になっており、現状ブログ(Wordpress)ではデザインが崩れるためちょっと面倒なため。最終回が再公開されないのは、Theメディア市で復活したんだから、ドラえもんの第6巻よろしく最終回はやっぱりなかったことにするため・・・・・・ではなく、ちょっと今の私が公開するのは生意気でむかつくってあたりが事情です。