2022年1月26日、「完全戦国年表」は公開25周年を迎えます

1年1回程度は更新しています。
2022年1月26日、「完全戦国年表」は公開から25周年を迎えます。「完全戦国年表」25周年特別企画……はとくに予定なしorz

いや、20周年特別企画の「完全戦国年表・第4版」が今にして思えば超弩級企画過ぎた。人生で一番時間が出来たとき(中学入学以降では唯一ではってくらい)によくぞぶち込んで実現できた。おかげで20世紀デビューの戦国時代を扱う個人Webサイトでしぶとく生き残っているわけであるが…

じつは、姉妹サイトというか、双子の妹(にして、更新中は「完全戦国年表」よりも人気サイトだった)「MACHIDA PC MAP」も同様に25周年なので、こちらで企画をしようと企んでいるのである。企画を企む。頭痛が痛いみたいなものか。尤も、「MACHIDA PC MAP」は本当に公開をやめた時期があるので25周年というにはブランクがある。だがしかし、公開日から25周年であることは間違いがないこと、その25周年前というのがちょうど町田にメディアバレーやソフマップが出来たあたりの年で話題になっていた時期であることから、「MACHIDA PC MAP」公開日はエポックメイキングな出来事でもあり、まさにメルクマー“ク“なのである。

「完全戦国年表」ほかメルクマークタイムラインズ各サイトについては、通常更新も全く出来てない、諸事がやるやる詐欺なのではあるが、ちょっと今考えているのは、歴史Webサイト界隈の小話でも1年くらいかけて書いてみようかということ。それもこの公式ブログでなく、どっか別のホスティングブログサービスで(爆) オウンドメディアは大事なのだけど、やはり集客という観点でははてなブログやnoteのほうが流入が見込まれ、たまには里で畑仕事だけでなく、街に出て一講釈垂れないとダメだなという次第。


ということで、年末なので最近の「完全戦国年表」について少し書いておく。

大河ドラマが戦国時代かそうでないかの影響は、ある

2020年「麒麟がくる」のときはコロナで放送期間が1年2ヶ月もあり、日曜日の本放送が終わったあたりから月曜日までアクセスが明確に伸びていた。戦国時代全般に検索があがるからか、特定の用途において「完全戦国年表」はプレゼンスを維持しており、相当の流入があった。「青天を衝け」は、影響が無いわけではなく、完全幕末年表へのアクセスはちょっとはあるのだが、同サイトは25年選手の「完全戦国年表」に比べるとページランクから知名度・ポジションまで諸々が弱く、昨年ほどではなかった。……最近のブログ系歴史ファン向けWebサイトでは大河ドラマ特集を組んで対応しているのだが、もう20年近くやろうとおもってやっていない。ガハハハ! やるやる詐欺の年季が違う!

「完全近現代史年表」の伸び率が凄い

直近90日のアクセス流入において、トップページのPVだけであれば「完全戦国年表」の半分に迫る勢いという。正直、「完全幕末年表」より伸びるとは全くの想定外で。理由としては、そもそも近現代史を薄めの情報で扱うサイトは少ない、そして百度からの流入である。……ま、別にアドセンスで広告収入を得ているわけではないのでいろいろゆるして欲しいところである。

「完全戦国年表」にせよ「MACHIDA PC MAP」にせよ、25周年やって来られているのは見に来てくれている閲覧者の皆様のおかげです。本当にありがとうございます。


「戦国時代人物名鑑 第2版」における明智光秀の年齢について

1年1回程度は更新しています。実は[BLOG M]、毎年1回は更新してきたのに、今年は年の瀬ギリギリだった。単純に平日は心を無くす程度の忙しさゆえであり、休日は休日でコロナ禍で外出し難いため徹底的にinputに行動を寄せたゆえである。

それで書こう書こうと思って書く機会を失ってきたのだが、今回は「明智光秀の年齢」について言及しておきたい。

Webサイト「完全戦国年表」が第3版から第4版へと全面改訂するにあたり、旧版から意志を持って内容変更した項目の一つに、この明智光秀の年齢がある。
旧・第3版時代の「戦国時代人物名鑑・第1版」では大永8/享禄元<1528>年生まれとしていた。が、第4版時代の「戦国時代人物名鑑・第2版」では永正13<1516>年生まれに変更している。

資料をいろいろ読み込んでいく上において、織田家関連の記述は谷口克広氏の著作が突出して安心感があり、言うなれば「打率が高い」状態だった。人物・合戦など、あらゆる項目に逐一納得感があり(著者は1990年代に武功夜話の高低差キーンとなる評価→偽書判定の流れ、立花論文三職推任問題を”歴史愛好家として”見てきている)、いろいろ批判的言及をする学者も出てきているが、著作ベースで古いと思われる内容はまだ無さそうな様子である。

その谷口氏の著作である『織田信長家臣人名事典 第2版』(吉川弘文館)は、20年以上評価が定まった労作である。

『織田信長家臣人名事典』明智光秀の項において、本能寺の変時(天正十<1582>年)の年齢について以下の通りの記述がある。

五十五歳とされることが多いけれど、これは、百年以上後に書かれた『明智軍記』の説にすぎない。もっと信頼度の高い『当代記』を見ると、その付記の部分に「六十七歳」と書かれている。その記事のほうを信用すべきであろう。

谷口克広『織田信長家臣人名事典 第2版』(吉川弘文館)

谷口氏にそのように書かれて反論の余地がなかった。上記から、永正13<1516>年に変更した次第である。

今後未来永劫固定するつもりはもちろんない。光秀の妻の年齢、嫡男の年齢から不自然なところもあるのだが、上記以上に説得力のある論に当たることは出来なかった。享年55のほうがしっくりくるし、67ではトシ取り過ぎだろとも思うが、好き好みで記述を決めるわけにも行くまい。というか、せっかく大河ドラマに明智光秀が採用されたのでこれを機に新史料でも出てきてくれるかと思ったが、それはどうやら無さそうで終わるようだ。

ふつう、歴史学においては確定的な史料がなく、判断しがたいときは「不明」とすることを避けようとはしない。分からないものは分からない、とするほうが歴史学の態度としては信頼がおけるものである。ところが、「完全戦国年表」というのはその成立からして「尤も確からしい年月日を決め打ちで当該年度の発生した日時とみなす」という方針があり、その点では非誠実なのである。

このあたり、歴史学の学問の根幹における重大な構造上の問題を突いているところもある。歴史学においては定説とされる内容を、史料を発掘したりだとか、他の史料との整合性から崩すことを好む傾向がある。しかしながら、国民としては何か一つの定説が必要だったりするのだ。往々にしてそれは、自らにとって気持ちよい、心地よい方向に説が振れがちである。その欲求は欲求としてきちんと認めつつも、歴史学という学問に敬意を持って、人間として誠実な立場を取りたいと考えている。


秒単位で歴史を記録することの難しさについて

「完全近現代史年表」Ver.1.05として令和改元に伴う項目追加を行いました。

https://www.merkmark.com/modern/nenpyo/kmnp_08.html

当初は退位と即位で1件ずつとしていましたが、政令上の退位・即位が日付またぎであるため追加しました。結果、5月1日更新において令和元年の出来事が追加されることとなりました。

新聞各紙の朝刊から、時分の指定は現代史選定基準としても確かなものと思われます。どの瞬間を採用するかだけは編纂者の一存ですが、NHKの生中継でリアルタイムで見ていて「これだ」と思った瞬間と、新聞各紙で採用された写真が結果として一致する傾向にあったので妥当な判断だと考えます。

一方で……

「何秒」に起きた出来事かは正直記載する必要はないのです。「一礼した」のであれば、かがめ始めた瞬間か、礼が終わった瞬間かでプラスマイナス1~2秒のレンジが存在します。「台に置かれた」のも所作の開始から終了まで微妙な判断です。今回は台に置き終わった瞬間としましたが、手を離した時単に紐に手がかかっているだけのようにも見えるので判断としては微妙です。

さらに、テレビ中継は地上デジタル放送となったこともあり、その特性上そもそも1,2秒のディレイが発生しているようです。これは5月1日NHKをテレビとラジオで両方つけて確認しました。結果、テレビはリアルタイム放送であるラジオより2秒遅延が発生していると判断し、秒はそれで採用しています。

ちなみに、管見の限りではデイリースポーツだけ気になるWeb記事をあげています

https://www.daily.co.jp/gossip/2019/04/30/0012289696.shtml

NHKは民放各局より1秒ほど“ディレイ”で放送を遅らせた生中継となっていたとみられる。

「NHKだけ8K対応でタイムラグがあるのか」とも思い、翌日の即位関連の儀式で確認してみましたが、NHKと民放(日本テレビ)では映像に時間差を確認出来ませんでした。ネットにちらほら見られる、「○○だけ退位でなく▲▲を放送している」という画像で確認してみても上記の1秒ディレイは確認出来ませんでした。しかし、時刻表示だけ、NHKは4月30日の放送では1秒遅れでしたが、5月1日の放送では同時刻に時刻が切り替わっていたことを確認しています。※NTPで時刻合わせしたコンピュータとの比較 地上デジタル放送になった当初は地デジだと時刻表示が遅れるという感じでしたが、地デジだけになってエンコード・デコードを考慮した時刻送出にしているように見えます。

記載した項目については、上記すべてを勘案しても所作の最中と考えられるため、思い切って書いても事実誤認でない範疇と判断し、今回は果断ぎみに秒まで記載しています。

本稿自体が、出来事が何時起きたかを判断する史料となるよう、書き残すものであります。

そんなわけで、何時何分までは新聞メディアでどんどん蓄積がなされていくのですが、やはり何秒までは技術の変転、そして映像メディアがアーカイブを徹底的にサボっていることもありかなり困難な事項となっていることは書き残しておきます。

なお、「完全近現代史年表」のバージョンについての考え方は、とりあえず「完全戦国年表」Ver.3までと同じとしました。項目追加・修正・更新については小数点以下1増分としています。今後は改善の余地があるかもしれません。Ver.4.02.03みたいな書き方もありかな、と思います。

「Ver.1.05」となっているのは2項目変更・追加を行ったことによります。

平成改元について、「完全近現代史年表」についてはスマートフォン対応のため改元実態にかかわらず立年改元表記としていましたが、西暦変更無しで元号だけ追加しても見え方がそこまで違和感ないと判断しましたので、「完全近現代史年表」については改元時基準に記述を変更しています(5月1日更新のVer.1.03より)。大正改元については即日改元(布告した日に遡っての改元)のようなのでそのままとしています。

いろいろ追加で近現代史通史本に目を通してもあまり項目追加はないかと考えていたのですが、ジョン・ダワ—『敗北を抱きしめて』に目を通して1945年11月4日の出来事をどうしても入れたい思いが出たのでこのタイミングではありますが追加しています。

今後、項目増減があったときにどこまでログを残すかは検討課題です。こう検討課題ばかり増えていくわけですが、それが現代社会なんだなあと思います。