2004年12月一覧

「東京は毎日、祭りみてえだ」

私がまだ生活基盤を東京においていた頃は、あのつんく♂が嘗て「LOVE論」(新潮社;現新潮OH!文庫)において、“いなかの子にすれば「東京は毎日、祭りみてえだ」って思っても全然不思議じゃないようなテンションの高さだ。”と書いていたのが、どうもピンとこなかったものだ。しかし、地方の村に移り住んだ今となっては、それが全くもって実感できるようになった。
東京に帰ると、まず東京にある駅の人の多さを感じずにはいられない。座れない電車、ぞろぞろと同方向に歩く密集した群集、そして、高等種別列車で通過する駅の人の多さ。さらに、各駅ごとに拡がる街の灯りを見るにつれ、東京が実は毎日ミレナリオだということを感じずにはいられない。
人の多さと灯りだけではない。決定的な違いは、街に流れる音楽である。有線から流れる音楽は地方都市でもあるが、独特のメロディーの有無が決定的に違う。
私が最近、往時を懐かしむままに購入した2枚のCDは、それを痛感するに十分なものだった。
秋葉原や新宿西口は音楽の宝庫である。エレクトリックパークから流れるイケイケドンドン、ちゃんちゃんばらばらちゃんちゃんばらばらの音楽は、まさに東京、大阪特有のものである。このCDには、ヤマダ電機やコジマのものも含まれ、それらは地方でも流れている。しかし、そういった郊外の家電量販店は、密閉した店の中でのみ流れるメロディーであって、秋葉原や新宿西口のように、開放的な店構えから洩れ伝わる音楽に乗せられるままに店の中に引き込まれるといったことは無いように思える。
私がとくに好きなのは、「Hello, Sofmap World」だ。もともと、ソフマップが好きなこともあるが、歌詞が人類愛に満ち溢れるパソコンショップ離れしているところが良いではないか。店の中では、さらに様々なバリエーションもあり、全く飽きさせない。「洗脳ソング」とも揶揄されるこの破壊力が、私は大好きなのである。
また、それら個性的な街と街をつなぐ鉄道も、東京は違う。
JR東日本が、発車ベルをメロディにすると聞いて、当初は幼心に違和感を覚えたものだった。しかし今では、京浜東北線や中央線に乗ってドアが開くたびに音楽が流れるのは、華やか極まりないと感じざるを得ない。北千住駅や蒲田駅など、ごくたまにある個性的な発車ベルのなる駅を通り過ぎるときは、読んでいた文庫本を到着前にいったん読むのをやめ、そわそわしだしてしまう。鳴り出すと、「来たなア」という満足感でいっぱいになる。そして、結局ベルでもメロディーでもやっている駆け込み乗車のあのスピード感が、都市のせわしなさを思い起こさせてくれる。スローライフなカントリーライフからすると懐かしみが零れてくる。こんな愉しみは、JR東日本の首都圏輸送区間でしか味わえない楽しみだ。
JR東日本 駅発車メロディーオリジナル音源集を買ってしまったのは、鉄道好きの私の為せる業だが、最初はあまりに綺麗なメロディーとなってしまった発車ベルに違和感があった。CDと駅のスピーカーでは聞こえ方がやはり違う。だが、発車ベルがこんなに音楽性あるメロディーラインをかましていてくれたことに、驚きの念を禁じえなくなっていった。下りホームに多さげな「see you again」や、中央線特急ホームの「美しき丘」、東京で聞くものではないが、はやて開業で使われるようになった「風と共に V2」あたりが、私の中に風となって吹き抜けていくメロディーである。
ともすれば気分が落ち込むこともある都会暮らし。しかし、街に出れば否が応でも、灯りと音が励ましてくれる。東京に生きることは、明るい人生を強制させてくれるところがある。
だが、あまり賑やかなところに住み続けるのも難しい。地方の住まいには、「静粛」という至高の音楽が流れている。この価値もまた、棄て難きものである。どっちも欲しい、これでは駄々っ子ではないかと自分をほほえましく嗤わずにはいられない。