ソニーという企業は疲れる企業だ。アンチソニーと熱狂的ソニーファンのギャップが激しすぎる。うかつに褒めることも批評することも出来ない。まるで、カール・マルクスみたいである。
私の家には、ソニー製品が意外とない。カセットテープレコーダーがソニー製だったくらいか。だが、このカセットテープレコーダーはVHFのテレビが全部聞ける優れもので、首都圏にいたころはNHK総合テレビ1チャンネルから東京12チャンネル(テレビ東京)まで全部音だけ聞けた。テレビが1台しか家になかったころはかなり重宝した。ソニーのCMは私が幼稚園のころは少し怖かった思い出がある。だが、インパクトには残るし、カセットテープレコーダーについているソニーのロゴは好きだった。
初めてソニー製品を所有したのはHi8のビデオカメラを買ったときだ。ヨドバシカメラの店員に「ビクターのVHSCなんて糞ですよ、キャノンのにしなさい」と“脅迫”されたのだが、キャノン製品のビデオカメラはピントあわせの方法に疑問があったのでソニーのにしたのだ。このカメラは、良かった。手堅い機能に適度な使い勝手。それに、ソニー製品はやはり使っているとウキウキする。姫路城で撮影していたら、外国人に英語でビデオカメラについて尋ねられた。やはり、世界のソニーである。松江城天守の最上階でビデオカメラが転倒し、ファインダーがぐらぐらになったときも、ヨドバシに持ち込んだら「無償で」修理してくれた。
だが、不満はあった。ボタン類がへぼいのだ。すぐ傷がつくし、はっきり言って押しにくいと思う。この点だけが不満で、ソニー製品を以後買う機会は今のところない。だが、それは買うべき金とモノがないことに起因しているだけで、私は積極的なアンチソニーというわけではないだろう。
ビデオカメラはいまでも現役だし、風雨の中でも耐えてきた点では、フジフィルムのデジカメ以上の耐久性だ。ソニータイマーは少なくとも私のものには載っていなかったようだし、たぶん他の製品も多くのメーカーよりモノそのものの耐久性は高いだろう。私のビデオカメラには搭載されていないが、バッテリ時間が後何分か教えてくれる「インフォリチウムバッテリー」など、心遣いが細やかなギミックも多く、古き良き日本メーカーを代表していると言えなくもない。
アンチソニーの人間は徹底的にアンチソニーである。それに合わせて会話をしていると、熱狂的ソニーファンと話をするときにボロが出てしまうことが多い。ソニータイマー話で仲間内で盛り上がり、それを引きずって、「(Panasonicの)Let’sNoteってどうなの」と聞いてきた友人に「ソニータイマーはないけどね」と答えたら、かなりムッとされたのを覚えている。彼もまたソニーファンであった。これからは注意せねばなるまい。
まあ、VAIOのキーボードはオレ好みではないが、サイバーショットのノイズの少なさには感動した。私には是々非々のようである。
…と思っていたら、私はApple製品の批判をされるとムカッとすることが多いようである。Appleファンというのは(私の周りでは)結構批判を織り交ぜApple製品を使っている人が多かったようだし、私も文句たらたらのはずなのだが、なんか、人に言われるとムカッとすることが多い。よく分からないが、これは愛なのだろうか。
「エッセイ」一覧
雑誌は蔵書ではない
この間、友人に(ごく全うな)この指摘を受けてはっとなった。確かに世間的には、雑誌は読みきり、読み捨てというケースが多いかもしれない。新聞と同じ感覚で。ただ、自分は雑誌を捨てられない。雑誌も蔵書なのである。図書館で気になった記事はコピーをとるが、多いようなら直接買う。情報源に思い出したときすぐにアクセスできるようにするのが筋である。
思えば、小学校低学年のころはなかなか雑誌…マンガ雑誌であるが…を買ってもらえなかった。家庭の教育が厳しかったわけではないだろう。テレビは結構自由に見ていたから。単純にお金がもったいなかっただけに違いない。小学館の学年別雑誌はあまり読んでなかったし、コロコロコミック、コミックボンボン、ジャンプ、マガジンなどは買ってもらうこともなければ、お小遣いで買うこともない。学習と科学(学研)は定期購読していたが。そんなわけで、私は買った/買ってもらった雑誌はなんどもなんども読み返すのが癖になってしまった。コロコロコミックなんかは3冊買っただけだったか。しかし、100回は軽く読んだはずだ。
月刊アスキーの250号、256号なども対談が濃くて捨てる気になれない。パソコン誌化した週刊アスキー最初の号もしかり。パソコン雑誌になる前の旧週刊アスキーも2冊持っているが、これも貴重ですてられない。13冊しか出ないなら全部買っておけばよかったと思ってしまう。そう、私は「歴史的史料」としてコレクターしてしまうのである。
雑誌をリファレンスとして使うこともあれば、引用したくなるときも来る。私には「捨てる技術」が皆無である。しかし、それこそが私の知的生産を支えてきたのも確かなのだ。