「戦国時代人物名鑑」新版の計画がある

1年1回程度は更新しています。
「完全戦国年表・第4版(仮称)」は地道に頑張って編纂しており、あわせて「戦国時代人物名鑑・第2版(仮称)」も計画中です。年表の方が形になったため、そこから人物名を抽出して、書くべき人物のリストアップにようやく着手できたところです。いまの「戦国時代人物名鑑」が89名のところ、「戦国時代人物名鑑・第2版」では229名に膨らむ見通しです。ダブルカウントはあるかもしれません。いや、きっとある。ただ、これまでの戦国時代人物名鑑が武将名鑑という名前にしなかった割に女性を載せていない不届きな状況だったのに対し、今回は当然のように執筆予定としていたりと、拡大の予定はあるのです。全部の人物が長い文章とはならない見込みですが、ちょっとは気の利いた一文くらいは入れていきたいよなあ。

で、ためしに「戦国時代人物名鑑 Ver.1.20」に名前があるのに、「戦国時代人物名鑑・第2版(仮称)」で記載計画がない武将というのを確認してみたんですよ。それでは見ていきましょう。

  • 芦名義広
  • 尼子晴久
  • 斎藤龍興

→これらの武将は「城が落ちたのと同時に死んでいない」ために、敗北の事実は年表記載があるのに名前が漏れてしまったケース。うーん、載せるにはどうしたらよいか。将来的には、「戦国時代人物名鑑の他の武将の項で名前が出てくれば執筆する」予定なのですが、最初からその通り計画すると何十年経っても公開が出来ないことが実証されてしまったため(苦笑)諦めることにしてしまいました。

  • 北条氏政

→現在の「完全戦国年表・第3版」では、北条氏直降伏の行に親父も切腹させられた記載があるものの、本来は日付も違うため年表上1項目にしてはいけないよねえ。。。かといって、複数行にするのは煩雑だし。日にちに拘る完全年表シリーズだからこそ悩ましい。しつこくせず深くしたい。葛藤しかない。

  • 猪俣邦憲

→真田丸ですっかり有名になった名胡桃城事件がスルーされている。。。いや、名胡桃城落城の項目は出てきたのに名前が消えてしまった。

  • 九戸政実

→九戸政実の乱の記載が無い。実は、「戦国時代人物名鑑」で九戸政実の流入は高かったのだ。他に記載しているサイトが少ない割に検索件数が多いことが影響していたのだろう。というか、岩手県民を経験したというのになんて俺だ。

  • 尼子国久
  • 尼子誠久

→おっと、これは新宮党粛正が漏れているなあ。

  • 里見実堯

→これも里見関係項目が漏れていますねえ。確かに「南総里見之館」の影響によって里見関連項目が増えたのはあるかもしれないですが、ちょっと地域戦国史に弱いのでは、第4版。

  • 真田幸隆

→有名どころが漏れてきました。個別の事件(砥石城落城)に功績者を書かなかったのが原因。

  • 毛利隆元

→家督を譲った系の項目は漏れやすいですね。

  • 福島正則

→じつは、「完全戦国年表・第4版」では応仁の乱開始の家康死亡終わりという、「完全戦国年表・第2版」の期間に戻るため、福島正則の登場がないのです(現在の第3版でも改易の項でようやく出てくる)。しかし、関ヶ原前の石田三成の7将襲撃で名前が出ても良さそうなのに、なぜそこでは加藤清正しか出てこないのか…

  • 平手政秀

→織田信長の記述で出てきそうなものだが、参考資料において文脈上で出てこない、ようは合戦が影響しないような場合は項目に組み入れられないのであった。

  • 土岐頼芸

→あれー、土岐成頼は出てきてるのに。これまた個別の事件が抜けたかな。と思って次を調べて驚き・・・

  • 斎藤道三

→どうせ違う名前で出てるから引っかからなかった…と思いきや、正徳寺の会見も主君へのクーデターも長良川の戦いも出てこない! おいおい、どうなってるんだよ…って、どうも戦国時代の通期を書いた本の場合、「京都の情勢(細川・三好)」「地域の状況(武田・上杉・北条・毛利・伊達・長宗我部・島津)」が書かれたあとに、織田信長って流れでそこにちょっと出てくるかどうかになってしまうのが斎藤道三のようで、すっかり忘れ去られるようなのである。調べてびっくり!
ということで、初版から第3版までの完全戦国年表と「完全戦国年表・第4版」では編纂のやり方が違っているため、だいぶ項目の抜けが出てきてしまう様子。でも、第3版を見て抜けている項目を追加するってのはなんか違うというか、わざわざ新版にする意味ないじゃん!ってことで、避けたいところ。本当に第4版を公開出来る日が来るのだろうか。そんな心配な情勢の最中、「完全幕末年表」のために資料を買い集めてしまったのだが、いろいろ大丈夫なのだろうか。


スマートフォン最適化を行いました

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「完全戦国年表・第四版」のときにまとめてやればいいや、と思って後手後手に回っていた「完全戦国年表」のスマートフォン対応ですが、ちょっと根詰めて現在の朝日ネットサーバにおいての対応を本日実施しました。やったことといえば、ビューポイント追加程度ですが。

これまでiPhoneやAndroidでは、PC版向け設定になってしまい、文字サイズが小さく読みづらかったのですが、スマートフォン用サイトと同じような表示が実現されていると思います。ただし、年表ページだけは例外で、今のところスマートフォン向け表示にしていません。これは、今のtableタグでは年号部分と新暦換算部分がスマートフォン向け表示最適化では表示できないため。年表だけはPC向けとスマートフォン向けを分けるのが正しいかもしれません。逆に、年表以外のページは元から1カラムでレスポンシブルデザイン準備万全のようなもので、CSSだけであっさり対応させています。なお、iPadのようなタブレット端末ではPCと同じ表示を想定しています。

これを機会に、HTML4.01、HTML5と非推奨にされてきたタグは極力置き換えをあわせて実施しています。Windows 7やMac OS XのGoogle Chrome、iPhone6のSafari、Androidの標準ブラウザではざっと確認していますが、これからIEやFirefoxでも確認をしてみたいと思います。

また、「放生月毛−戦国Links」もリンク切れチェックを行うと同時に、カテゴリ別ページをやめリンク集を1ページにまとめました。だいぶ昔相互リンクをしていたサイトが消えてきており寂しい限りです。1996年公開サイトの減り方といったら。「南総里見之館」「LSN地域戦国史特化型リンク集」を放置ながら公開し続けている智秘図氏がすごいような気もしてくるわけです。まったく他人のことは言えないのですが。

そう考えると完全戦国年表も20周年まであと1年とちょっと。たまに気合い入れる作業をしていますが、引き続き定期的な気合い入れは行わなければなりませんね。


WordPressメンテナンス実施

「Merkmark Timelines(トップページ)」および「[BLOG M]」はWordPressのマルチサイトで運用していたのですが、1つずつプラグインを外してVerUpというのが大変に煩雑で、やはりWordPressのマルチサイトは大変である、という結論を得ましたので、子サイトであった本[BLOG M]を分離の上、親サイトはAdobe Muse CCで作成しなおすということを実施いたしました。

リンク等は維持されているはずですが、結果的にWordPressのエクスポートとインポートで実施しているため、本当にパーマリンクが変わっていないかのチェックは未実施です。ごめんなさい。

しばらくのあいだ「[Blog M]」と表記しており、もし「[BLOG M]」とサイト名がまだ表記されているようであればキャッシュが残っている状態であることになります。

細々とではありますが、引き続きよろしくお願いいたします。