第26回・「弱いな」といわれたときの悔しさは、忘れられません

 これは昔のお話し。文化祭で説明していたボクは、大坂城模型を見せながら、豊臣大坂城の縄張りについて説明していた。そんなボクに客は一言「どうして、全部水堀にしないで、こうしてから堀が存在するの?」 私なりに説明を試みたが、その中年男性は最後に一言「弱いな」と、私の意見の全てを一瞬にして泡と化す言葉の槍で、ボクを奈落の底に追いやったのでした。

 昔の話し、といっても、その頃は既に「完全戦国年表」もインターネットで公開済み。プライドはもうがたがたに、自分の城に対する知識のなさを反省した次第でした。

 そう。せっかく意見をいっても「弱い」と納得がいかない。満足できない。だって、もっと知りたいから。

 私自身、戦国時代の中でも、織豊史が好きで結構中心に据えてこれまでやってきたのだが、なかでも最近の信長研究は、定説をひっくり返しつつある、というか、なんというか。今川義元上洛説なんて今や論外としても、桶狭間正面攻撃、墨俣一夜城なんて存在しない、鉄砲三段打ちは嘘・・・などなど。私も数年の紆余曲折を経て漸く「新説」にモード変更されたところだが、それでそれらの本を読み進めると「弱いな」と思わざるをえないときが多々あるのである。

 今回の犠牲??は「信長の戦国軍事学」 新装版の方である。先に挙げた説をいろいろと書いておられるのだが、網野善彦氏の「無縁・公界・楽」を読んだ後で頭が知恵熱を出していたせいか、「弱いな」と思いながら読み進めるという結果となったのである。

 この本の著書であらせられる藤本正行氏は桶狭間合戦正面攻撃説をごく初期に提唱された方である。信長関連資料で超一級品である「信長公記」に忠実に考え抜かれたこの説は、それまでの奇襲説を崩しつつある。というよりも、現在では桶狭間合戦奇襲説だなんて古すぎなのである。たしかに、定説である奇襲路については「無理がある」「流動的な敵の本陣を狙うためには最短ルートを取るはずだ」というのは多いに納得がいくところである。ただ、である。いくつか以下の点で納得がいかない点も多い。


    1:「清洲篭城案」が全く出ないのはおかしい

    2:今川本陣の前軍が敗れる経緯がおかしい

    3:義元戦死の理由が全くといっていいほど書かれていない


まず「1」である。甫庵太閤記では林佐渡が篭城策を進言し信長が一蹴したことになっている。これが「嘘」だという理由は「前線の砦は一族や重臣の城。これを皆殺しにするという篭城案を出すのはおかしい」だそうだ。しかし、「見捨てることの勇気」は戦国の世のこと、時として必要だったはずである。清洲城内のなかで一人くらいは「篭城案」を出すものがいてもおかしくないのではないだろうか? 次に「2」だ。正面攻撃された今川本陣の前軍が瞬時に敗れた理由として「織田軍来襲に義元のお伺いを立てなばならなかった」ということを、近代戦であり、桶狭間合戦と状況が酷似していることで有名なミッドウェー海戦を引き合いに出して説明している。この本は、「記録が豊富に残っている」近代戦で具体例が出されていて、非常に興味深いし、時としては分かりやすいのだが、時としては大きな見当違いを生むこととなる。槍を持った軍隊が目の前にやってきているのである。そのままじゃ殺されるのだ。防戦するのは当たり前ではないか。視覚的に自分が殺されるかもしれない、という状況が目に見えてくるのである。機動部隊とはわけが違う。攻撃の許可をもらうほどの大きなアクションをしなくても、刀を抜くだけでも防戦ができるのが戦国時代の合戦だ。さらに「3」へと話はつながるが、その前軍の混乱で「金持ち喧嘩せず」で退却し出した義元、というのはいいが、いくら信長の言葉で織田軍が奮闘したからとて、今川本軍を破るのはともかく、義元までなぜ戦死したのかが全く書かれていない。信長も予想外だっただろうって言われても読者は困ると思う。「裏切り」の声が上がったとか、そう言うのは勝手に作られた事実なのだろうが、「そういうのはなかった」というだけで、戦国時代の合戦には何が起こるか分からない、というのを考慮しても、読者には物足りないのだ。仮にも「お歯黒のお公家が酒宴を開いて油断して・・・」などという嘘八百ながら極めて理解しやすい話を打ち破るには決定的「弱さ」があるのである。さらに書かせてもらうが、たとえ3キロメートルといえども、なぜ織田軍の移動を今川軍に伝える農民・百姓がいなかったか、ということについてもノータッチである。今川軍に取り入る百姓がいてもいいのではないだろうか。それを押さえた信長の治世、という言葉も出てきていない。もっとも、単に私が読み落としたのかもしれないが、私は今回のメディア市を書くに当たり、この「桶狭間合戦」の章だけではあるが、3回ほど読んでいる。極めて自分の能力を誇る発言であるが、私程度の人間が3回読んで読み落とすのは、よっぽど文章が何回だ、ということだろう。この本は「歴史読本」などの歴史愛好家も読む本に載せられたものをまとめた本であるのだから、学界論文に出したものだけの本ではなく、したがって一般市民にも分かる文章で書かなければいけないのは当然である。となると、全く触れられていないのだ、密告の件について。

 他にも常々思っていたことであるが「墨俣一夜城がないのは分かる。では、秀吉は調略の才だけで出世できたのか」などと疑問は浮かぶ。さらにだが、私は幸運にして長篠合戦の鉄砲活用について、「三人一組で撃ちつづけることが『三段打ち』なんだ」と戦国時代の勉強をし始めた頃からそう思っていた世代である。「1000人交代でうてるわけがないだろ」というのも当初から納得がいっていた。だのに、「鉄砲三段打ち(=1000人交代一斉射撃)は嘘である」といわれても、過渡期に生きたものとしては困る。だって、三人交代が三段打ちなのよ、私にとっては。

 このほかにも「鉄甲船」の真実など、興味深いながらも???と「なるほど」の入り混じる文章はあったが、それは省略させて頂く。歴史愛好家・戦国オタク・戦国野郎などと呼ばれている人たちは「小瀬甫庵ワールド」たるメディアから入った人がほとんどだと思う。「信長の野望」然り、「歴史群像」然り、そして司馬遼太郎氏や山岡荘八歴史文庫などだって、みんな「甫庵太閤記」「甫庵信長記」の分派である。戦国時代に興味を持ったからといって、角川文庫ソフィアの信長公記から読みはじめる小中学生がどこにいるのだろうか? 三国志が好きな人だって、まずは「三国志演義」配下のメディアから入るのである。そして、もっと真実に迫りたくなったら「正史」へとすすむのである。それが戦国時代の場合はどうだろうか。「小瀬甫庵」はギッタギタのメッタメタ。そう言う資料がここ数年増えてきている。しかし、私は考える。江戸時代に作られたエピソードは、とても面白いではないか、と。そういうのは、「フィクション」として、実際の歴史とは別に考えることは出来ないのだろうか。歴史の衣を借りた、面白いストーリーではないか。しかも、江戸期から数百年単位で熟成されたエピソードなのである。信長が奇襲しないで話は面白いか? 柴田勝家が瓶も割らずに六角軍に勝ってどこが楽しい? 秀吉が墨俣城も築くことなしに出世して出世箪が成り立つのか? これは、劉備ら桃園3トリオが反董卓同盟で華雄や呂布を破るのと同じ理屈である。孫堅よりも劉備軍が戦った方が面白いのである。史実でなくとも呂布と関羽・張飛が一騎打ちしていた方が読み手にとっては楽しいのだ。今まで学者様はそのような「フィクション」で研究していたのが悔しいのではないか? だから真実を知って小瀬甫庵に罪をなすりつけようとしているのではないか? そう思うときがふとある。小瀬甫庵に躍らされるのは恥ではない。甫庵の文章が上手いのだろう。実際には、実戦経験のなさが露呈している文章だが、我々現代人だって、実際に戦国時代の戦闘はしていないんだからしょうがないではないか。今度登場する「完全戦国年表 第三版」では、そのことも追求していこうと思っている。

 この本には先に書いた問題もあると思うが、「信長公記」自体について述べている最初の章の説明はとても興味深かった。なんか、とってつけたような「誉め」の部分で、「またどっかから追及が来るのが怖いんだろ?」と思われてしまうかもしれないが、こればっかは事実だけにしょうがない。「版」の違いについてなどもかなり詳しい。

 まあ、こうして「考える」機会を与えてくれたこの本には強く感謝している。私自身、ハードカバーの本が好きではなかったせいもあり、生まれてはじめて買ったハードカバー本のような気もしている。こういう風なのが「教養」だ、と誰かがいっていたような気もするからまあいいんでしょう。



やっぱり責任が怖いか>筆者




DATA:洋泉社、信長の戦国軍事学(藤本正行著)
(初出:「戦国メディア市・第26回」1998.6.21)