完全戦国年表編纂後記一覧

「完全戦国年表」「完全幕末年表」に広告が載る日は来るのか

さて、編纂後記怒濤の7連発、第4夜。きょうは「完全戦国年表」「完全幕末年表」に広告掲載がされる日は来るのか、大いに語る。

結論から書くと、しばらくは載せる気は無い。が、絶対に載せないと言い切るつもりも、無い。

そもそもなんで「完全戦国年表」に広告が載ってないかというと、ズバリ公開当初のASAHI-NETサーバの規約上、広告掲載がNGだったからという理由だけ。正直、中学/高校生でお金は欲しい時期だったから、広告掲載OKのサーバだったらそのまま載せてた気がする。現に、当時個人ページで数少ない広告プログラムだったCSJ Banner Exchange向けのサイズでバナーが作られていたりするのだから。でも、掲載なくそのまま更新休止となった次第。

で、以前書いたとおりにばたばた忙しい大学生時代の最中、Googleアドセンスも登場したわけだけど、基本は「ASAHI-NETサーバの規約」で掲載をせず至ったというのが基本線。

一方で、「完全戦国年表」は学校からのアクセスが多く、おそらくは調べ物学習の類で使われていた節がある。そういう教育目的の利用が多いサイトで広告バナーというのはそぐわないという判断も出てきたわけで。

昨今、広告プログラムも増え、Webサイトの収益化が容易くなったのは喜ばしい面が多いことは承知している。が、スマホ時代になり、ユーザを強引にアプリインストールに誘導すべく誤タッチを期待しての動く広告、ウィルスに感染しましたとミスリードしてのアプリインストール誘導、画面を大夫塞いでの動画広告、UX/UIの考えを一瞬で全て吹き飛ばすスプラッシュ広告……はっきり言ってウェブは終わったなと言わざるを得ない末期的状況。Web屋は胸に手を当て自問自答すべきだ。「動機善なりや、私心なかりしか」と。腐りきっている。堕落しきっている。終わってる。織田信長に出てきてもらった方がよいのではないか。

と、ここまで書いておいてなんだが、「完全戦国年表」「完全幕末年表」に広告を載せるとしたら、以下2パターンの場合がある。

1つは、個人的に宣伝・告知したい話が出てきたとき。

それはMerkmark Timelinesの自社広告かもしれないし、個人的に関わっているイベントの宣伝告知かもしれない。どちらにせよ、既存の広告プログラムでは合致しないので、自サイトでバナーを出す形となる。

もう1つの場合は、私個人が生活に困るような事態が発生したとき。

サーバー代含め現状は個人の持ち出しである。教育目的をあるから、基本は趣味だからと基本は完全自己負担である。……参考文献に関わった諸先生方が薄給(失礼!)であれだけの成果を出してきたことを考えれば安いものなのだが、生活も出来ない事態になったときは広告が普通に入る事態もあり得る。……そんな事態になったときはサーバー解約しろよって話であるが(苦笑)、独自ドメインに移した以上退きたくはない。この個人ホームページ業界で20年も看板さらし続けてきた執念を舐めてもらっちゃ困る。

ということで、基本は広告は載らない方向なので、心地よく「完全戦国年表」「完全幕末年表」を見てもらいたい。念のために書いておくと、「寄付をお願いします」と画面占有する文言を出すこともないので安心してほしい。

まあ、スマホ向け広告をあれだけ非難しておきながら、ASAHI-NETサーバー時代にたびたび使ってた某アクセス解析はスマホだと「スクロールしてくる広告」が出るじゃないかとか、ね(しかも広告バナーは存外微妙)。だいたいこのブログでもアフィリエイト始めてる訳なので、別に清廉潔癖一辺倒というわけでは、ない。いい加減に、ゆるく、ぬるく。本メルクマークタイムラインズは適当だよー


完全戦国年表QとA【2018年1月版】

そもそもQとAってなんですか?

きちんと新サーバに移転された「【完全戦国年表ライブラリー:001】完全戦国年表 QとA」を見て下さい。

第3版の戦国時代人物名鑑にいた平手政秀はなぜ消えたのですか?

「戦国時代人物名鑑」新版の計画がある

で書いた内容から、それなりの敗者復活はあったものの、メジャーどころでは、福島正則や平手政秀は復活しませんでした。前者は年表項目に該当がないという理由ですが、平手政秀切腹は項目採用しても良さそうなはず。が、落ちてしまったのは気づいたのが2017年11月で既に採用人物凍結後だったからという以上の理由はありません。
合戦については参考文献にも上げた戦国合戦事典で重要な合戦の採用を行っておおよそ復帰(九戸政実や斎藤道三・斎藤龍興あたりが復活)したのですが、どうも。明智光秀と戦った波多野兄弟は項目にありながら漏れていたばっかりに年表の項目が不自然になってたりとか。そんな項目も多数あります。なかで「一休宗純死去」って項目は最初あったのに、2017年12月になって人物名鑑書いていないことに気づいたため項目毎削除されるというウルトラAがかまされました。……じつは、同じ事を徳川秀忠にもやってたのですが、これは流石に項目を落とす訳にいかず唯一追記を2017年12月に行いました。
メジャーどころでは、真田幸隆も項目落ち。こっちは孫の真田幸村が新たに新規項目になったので良しとして下さい。

これまで室町期も扱ってきたのに応仁の乱開始って改悪ではないですか?

ご指摘はその通りだと思います。が、これはプロジェクト側のヒューマンリソース以上に、心理的な部分もあり。室町期って幕末以上に暗くて人気がない。でも、噛めば噛むほど進みようがない時代って真に硬直化した現代社会に通じるものがあり、面白いのですよね。
従前の完全戦国年表・第3版では、応仁の乱以前はプレリュード的扱いで、戦国時代人物名鑑の取り扱いもしていませんでしたが、一気に繰り上げた上で人物名鑑採用も行いたいという石はあります。

地方史が貧弱では?

今回、通史を扱った書籍をもとに作成しました。そのため中央史が大幅に強化され、結果三好・細川あたりの抗争の項目が大幅に増えました。
一方、その手の通史本は各地の戦国大名についてはトピック毎にとりあげているため、主要戦国大名についてはおおよそカバーされていたものの、それ以外の大名については零れ落ちているケースがあるかもしれません。花倉の乱が漏れていたのものそのあたりの事情です。
必要な項目はいつでも追記します。

墨俣一夜城を未だに乗せてるのですか?

「完全戦国年表」は史実だけでなく、江戸期の創作はそれはそれとしてカバーするという方針のため、明示の上記載しています。……創作もカバーっていうなら『花の慶次』あたりの出来事もカバーすればいいのにとも思いますが、不徹底です(笑)

「日本の城リファレンス」各論編、観光情報が貧弱では?

うっ。痛いところ突かれた。いや、突いてるのは自分だからどれだけマゾなのかと……
ご指摘の通り。「日本の城リファレンス」はまだまだ感。追記しやすいようにCMS化したのでってことでご容赦を。うん、言い訳をすぐつくれるよう成長できたな!


新版「完全戦国年表」&新サイト「完全幕末年表」、本日公開!!

本日、「完全戦国年表」第4版の公開、「完全幕末年表」の公開を行いました。個人的には長年の懸案が解決した達成感がある一方、細かいところまで100%達成出来なかったところもあります。たとえば、現状「戦国時代人物名鑑」の武将名、完全な50音順でない(ソートが出来てない)状況です。CSSもズレてるところがそれなりにあると思っています。ただし、サーバー移転、SSL導入、各種ロゴなどデザイン変更など、最初にスタートすべきところは一通り織り込むことが出来たので、とりあえずは安堵しています。

内容の確認は一週実施しています。が、やはり誤字・脱字は相応にあり、随時修正を入れています。文体もあっちがいいかな、と思ったら気軽にバシバシ修正入れていく所存。ジェットコースターでもいいじゃないか!

最近、広辞苑第7版の誤りが話題ですが、幸い?こちらはウェブ媒体なので誤りがあったら即修正を入れることが出来ます。ご指摘については謙虚に対応出来ればと思います。お問い合わせのページにメールアドレスを記載していますが、Twitterへのリプライ(@merkmark)でもOKです。ちなみに、参考文献には書いていないですが、今回、年表各項目の裏取りには容赦なくWikipediaを最大限活用していることを公表しておきます。昨今のWikipediaは「要出典」の嵐なおかげでこちら側のTypoミスを見抜くには便利なのでした。Wikipediaとの比較結果、事実関係が異なった場合は、書籍に還って調べています。

最後に、今回「戦国時代人物名鑑・第2版」において相当参考にさせて頂いた谷口克広『織田信長家臣人名事典』第2版のあとがきに以下のような一説があるので紹介します。

初版の監修を引き受けて下さった高木昭作先生は、冒頭の「序にかえて」で次のように書かれている。

「この種の著作で、しかも個人のそれで、最初から完全などということはあり得ないことであろう」「この書物を将来できるだけ完全に近づけるために」多くの方々のお力ぞえをお願いしたい、と。

今回様々な文献を参考にさせて頂いたのだけども、説が古いとか以上に単純なミスで誤っているような文献もあって(※『織田信長家臣人名事典』では当たらなかったのですが)。商業誌でも見逃されることがあるんだな、と安心してはいけないと思うのですが、あれだけのOutputのあとでは本音が零れるのだなといたく感心したので引用させて頂いた次第です。仮にも完全を頭に付けてるのに言うなよって気はしますが(苦笑)、20年前以上にストレスに強くなった私、遠慮無く叩いて頂ければと思います。事実関係以外も容赦なく書いているため、武将によってはかなり辛辣な書き方になっている部分もありますが、Wikipediaではないので譲らないべきところは譲る気はありません。

さて、本日の公開を記念して(?)7日間連続の完全戦国年表編纂後記&完全幕末年表編纂後記をアップします。明日は初めての「完全幕末年表編纂後記」となります。