完全戦国年表編纂後記一覧

完全戦国年表、次の展開は?

完全戦国年表について」に今後の以下4つが書かれている。

  1. 年代の繰り上げ
  2. 年代の繰り下げ
  3. 「戦国時代人物名鑑」の拡充
  4. 「日本の城リファレンス・各論編」の拡充

1.のどこまで繰り上げるかという話だが、足利義満死去か足利義持死去かまでだろう。内容からすると一気に義満死去なのだが、あまりに負担が大きい(笑)。が、もう全面リライトは本編にはないと思うので、攻めてもいいかなと考えている。

2.の繰り下げは、徳川綱吉将軍就任も一つの考えではあるが、第3版の由井正雪の乱止まりがスマートな気もする。生類憐れみの令他の綱吉治世で戦国が吹き飛んだあたりも書きたくなるのだけど、そうなると完全戦国年表は一大記述となってくる。

「戦国時代人物名鑑」と「日本の城リファレンス・各論編」の拡充も、まだリストアップすら出来てないけども相当のボリュームになりそう。幸い、CMS化で作業はあらゆる面でやりやすくなったので、あとは体制次第である。新規追加だけでなく、既存の人物・城についてもガンガンリライトをやっていきたい。

さて、18年ぶりに改版した「完全戦国年表」なのであるが、立ち止まったら負けだと思っている。ズバリ言うと、「完全戦国年表・第5版」を早速構想中。5版の目玉は、「戦国時代合戦総覧(仮称)」。戦国時代の合戦について、もっと詳しく深く詳細を各個ページにする予定です。

わーっ、と、実は本当は第4版でやりたかったけど流石にリソースがなく、いつまでも前に進まないので諦めてしまった。これは、「戦国時代人物名鑑」や「日本の城リファレンス」の採用を年表に出てくる人物や城以外も最初から網羅するのを諦めたのと同じく、である。

合戦は扱いが難しく、「攻め込んだ」「野戦で負けた」「討ち取った」「降伏した」あたり、取捨選択出来れば良いが正直年表に複数項目載せざるを得ない場合も多々あった。これらを整理したいという想いは第4版編纂で強くなった。合戦毎のミニ年表的存在として深掘りすることが出来るようにしていきたい所存。

加えて、「完全戦国年表・第5版」と同時でやるかは未定だけども、年表自体のHTML周りはまだまだ作り込みが可能だと考えており、このあたりもイノベーションが必要だと考えている。正直、紙じゃないのだからtableだけで良いわけがない。ここを攻めてこそ、流石20年超のサイトは違うねと言う評価もやっとなされようというもの。まだまだ考えていかねばなるまい。

と、果て無き向上思考にくらくらしてきたが、趣味の範囲で楽しくやっていきたいです。


年表における元号表記についての考え方の変更について

7夜連続」としてたのですが、どうも書くべき話からすると8回ぶんあるために「8夜連続」に変更します。

今宵の話は、昨今話題の「改元」について、です!!

「完全戦国年表・第3版」では、基本的に改元日以前は前の元号という扱いにしていました。

一世一元の制が取られ即日改元となる前は、基本的に年初に遡及して(=1月1日にさかのぼって)改元が適用されることになっていたとされています。ですが、実際に出来事が起こったときは遡及改元前のため、改元を適用するのは改元日から、としていました。

ですが、「完全戦国年表・第4版」では、改元があった年は遡及で改元されたものとして11日から新元号という表記にしています。これは「完全幕末年表・第1版」も同じです。

変更した理由はズバリ、スマホ対応。スマホファーストにした結果、西暦と元号はスマートフォンでは必ず太字で項目とは別の装飾を行い。スマートフォンでは1行で表示するよう改良を行いました。その結果、tableの中で元号を変えると分かりづらくなるため、改元があった年は旧暦11日にさかのぼって改元があったという考え方を採用し、改元後の元号を西暦のとなりに表記するように改めました。その代わりですが、改元はすべての元号について改元日を必ず入れるようにしています(従前は抜けていた項目もあったはず)。

ふつう、旧暦(太陰太陽暦)において元号と西暦を併記するときは、歴史学においては元号のあとに括弧書きで西暦を書くのが正しいやり方、ポピュラーな書き方です。

が、「完全戦国年表」「完全幕末年表」では利便性・可読性を優先して、旧暦であっても西暦につづけて、元号を括弧書きにしています。私はこれを「教科書暦」と読んでいます。小学校から高校の歴史教科書はこの表記のようです。なお、全部確認したわけではないです。

新暦(グレゴリオ暦)と、その日本における元号の年が一致しないことがあるのは、「新暦換算について」で述べたとおりです。

ですから、元号が主、西暦が従というのが187311日より前では正しいのです。が、とにかく分かりやすさ重視です。

と、「完全戦国年表・第4版」のように新暦推しなサイトをやっている割に、「戦国時代人物名鑑」「日本の城リファレンス」「幕末明治人物名鑑」全部旧暦、しかも教科書暦の書き方なのはどうかって感じもする。せめて人物名鑑の生没年くらい新暦併記出来れば良いのだが。


完全戦国年表/完全幕末年表:技術ばなし

Merkmark Timelines」は某CMSで運用されています。いずれは採用CMSを公表していろいろノウハウも共有していきたいのですが、本日時点では保留させてください。もうちょっといろいろ対応してからが良さそうなので。

Merkmark Timelines」は2012年以来さくらインターネットでホスティングしてきたのですが、今回エックスサーバーに移転しました。理由はさくらインターネットはSSLをリバースプロキシで利用可能にしており、https判定の自由度がないため。まあ、結果として全面SSL移転を決意したのであまり意味は無いかと思っていたのですがじつは、手持ちのガラケー(NTTドコモ N-03Dau GRATINA KYY06Y!mobile CRESTIA 402KC)でSSL接続してみたところ、どうも証明書読み込みで上手くいかず接続できない。そのため、ガラケーの場合は一律でSSLでなく非SSL接続するようにしています。別に困る内容(問い合わせフォームも設置していない)ので、この際良いかと。今日の時点では割り切ってしまっています。

……その勢いならiモード版/Y!ケータイ版も移行出来るのではという話もあるのですが、画像の多くをRetina対応したせいか画像がやたら重く、ちょっとまだ無理かも。これは改善の余地があるので、少し考えます。

UTF-8、スマホ対応といったあたりはASAHI-NETサーバ時代にすでに実現出来ていたのですが、今回の目玉?はついに年表もスマートフォンの場合にはtableでなくきちんと文字が大きくなるよう表示をcssで制御した点でしょうか。まだまだ美しさはないのですが、ようやく手を付けることが出来たのです。

他の話としては

  • twitterカード/OPG対応
  • faviconをつけた
  • 人物や城のページはfacebook/twitter/はてなブックマーク/LINEの共有ボタンをつけた

といったあたりでしょうか。

実は大きな話として、今回から戦国武将人物名鑑の各人物ページもいサイト内リンクに対応したというのも大きなところ。ずっとリンクをたどってだらだら見ることが可能になったというわけです。CMSを使ったので完全手打ちではなかったのだけども、当初投入する作業がありリンクのURIが決まっていなかっため、結局は手作業になってしまったのでした。が、年表でのリンクの作業時はsedをつかって1秒で作業出来たので進歩進歩。

ということで、CMSに投入しているのもあるので、データ取り回しであれやこれやも出来るのですが、そのあたり実現は先になりそう。

もうちょっとCSSで使い勝手を良く出来る部分もあって、一番危急のタスクとしては、人物名鑑と日本の城リファレンスのトップページ、1ページに長々とリストをのっけているけどもスマホでもPCでも見づらい&クリックしづらいの二重苦なので早期に改善していきたい。

Webの見てくれの部分ではフッター(Copyright)を必ず下に表示させるためだけにJQueryを使う暴挙に出てるので、これも改善したい。誰も見ないのかもしれないけど、現状htmlのソースも整形前で汚いYO

とまあ、一応技術の完全戦国年表と言われていたところ、ようやく個人戦国サイトで人並みレベルになったので、これからよりまともにしていきたい所存。ブログ形式の戦国時代ページだけじゃ寂しいからね。まだまだ個人戦国ウェブサイトの先陣を切り続けたい所存です。