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「戦国時代人物名鑑 第2版」における明智光秀の年齢について

1年1回程度は更新しています。実は[BLOG M]、毎年1回は更新してきたのに、今年は年の瀬ギリギリだった。単純に平日は心を無くす程度の忙しさゆえであり、休日は休日でコロナ禍で外出し難いため徹底的にinputに行動を寄せたゆえである。

それで書こう書こうと思って書く機会を失ってきたのだが、今回は「明智光秀の年齢」について言及しておきたい。

Webサイト「完全戦国年表」が第3版から第4版へと全面改訂するにあたり、旧版から意志を持って内容変更した項目の一つに、この明智光秀の年齢がある。
旧・第3版時代の「戦国時代人物名鑑・第1版」では大永8/享禄元<1528>年生まれとしていた。が、第4版時代の「戦国時代人物名鑑・第2版」では永正13<1516>年生まれに変更している。

資料をいろいろ読み込んでいく上において、織田家関連の記述は谷口克広氏の著作が突出して安心感があり、言うなれば「打率が高い」状態だった。人物・合戦など、あらゆる項目に逐一納得感があり(著者は1990年代に武功夜話の高低差キーンとなる評価→偽書判定の流れ、立花論文三職推任問題を”歴史愛好家として”見てきている)、いろいろ批判的言及をする学者も出てきているが、著作ベースで古いと思われる内容はまだ無さそうな様子である。

その谷口氏の著作である『織田信長家臣人名事典 第2版』(吉川弘文館)は、20年以上評価が定まった労作である。

『織田信長家臣人名事典』明智光秀の項において、本能寺の変時(天正十<1582>年)の年齢について以下の通りの記述がある。

五十五歳とされることが多いけれど、これは、百年以上後に書かれた『明智軍記』の説にすぎない。もっと信頼度の高い『当代記』を見ると、その付記の部分に「六十七歳」と書かれている。その記事のほうを信用すべきであろう。

谷口克広『織田信長家臣人名事典 第2版』(吉川弘文館)

谷口氏にそのように書かれて反論の余地がなかった。上記から、永正13<1516>年に変更した次第である。

今後未来永劫固定するつもりはもちろんない。光秀の妻の年齢、嫡男の年齢から不自然なところもあるのだが、上記以上に説得力のある論に当たることは出来なかった。享年55のほうがしっくりくるし、67ではトシ取り過ぎだろとも思うが、好き好みで記述を決めるわけにも行くまい。というか、せっかく大河ドラマに明智光秀が採用されたのでこれを機に新史料でも出てきてくれるかと思ったが、それはどうやら無さそうで終わるようだ。

ふつう、歴史学においては確定的な史料がなく、判断しがたいときは「不明」とすることを避けようとはしない。分からないものは分からない、とするほうが歴史学の態度としては信頼がおけるものである。ところが、「完全戦国年表」というのはその成立からして「尤も確からしい年月日を決め打ちで当該年度の発生した日時とみなす」という方針があり、その点では非誠実なのである。

このあたり、歴史学の学問の根幹における重大な構造上の問題を突いているところもある。歴史学においては定説とされる内容を、史料を発掘したりだとか、他の史料との整合性から崩すことを好む傾向がある。しかしながら、国民としては何か一つの定説が必要だったりするのだ。往々にしてそれは、自らにとって気持ちよい、心地よい方向に説が振れがちである。その欲求は欲求としてきちんと認めつつも、歴史学という学問に敬意を持って、人間として誠実な立場を取りたいと考えている。


秒単位で歴史を記録することの難しさについて

「完全近現代史年表」Ver.1.05として令和改元に伴う項目追加を行いました。

https://www.merkmark.com/modern/nenpyo/kmnp_08.html

当初は退位と即位で1件ずつとしていましたが、政令上の退位・即位が日付またぎであるため追加しました。結果、5月1日更新において令和元年の出来事が追加されることとなりました。

新聞各紙の朝刊から、時分の指定は現代史選定基準としても確かなものと思われます。どの瞬間を採用するかだけは編纂者の一存ですが、NHKの生中継でリアルタイムで見ていて「これだ」と思った瞬間と、新聞各紙で採用された写真が結果として一致する傾向にあったので妥当な判断だと考えます。

一方で……

「何秒」に起きた出来事かは正直記載する必要はないのです。「一礼した」のであれば、かがめ始めた瞬間か、礼が終わった瞬間かでプラスマイナス1~2秒のレンジが存在します。「台に置かれた」のも所作の開始から終了まで微妙な判断です。今回は台に置き終わった瞬間としましたが、手を離した時単に紐に手がかかっているだけのようにも見えるので判断としては微妙です。

さらに、テレビ中継は地上デジタル放送となったこともあり、その特性上そもそも1,2秒のディレイが発生しているようです。これは5月1日NHKをテレビとラジオで両方つけて確認しました。結果、テレビはリアルタイム放送であるラジオより2秒遅延が発生していると判断し、秒はそれで採用しています。

ちなみに、管見の限りではデイリースポーツだけ気になるWeb記事をあげています

https://www.daily.co.jp/gossip/2019/04/30/0012289696.shtml

NHKは民放各局より1秒ほど“ディレイ”で放送を遅らせた生中継となっていたとみられる。

「NHKだけ8K対応でタイムラグがあるのか」とも思い、翌日の即位関連の儀式で確認してみましたが、NHKと民放(日本テレビ)では映像に時間差を確認出来ませんでした。ネットにちらほら見られる、「○○だけ退位でなく▲▲を放送している」という画像で確認してみても上記の1秒ディレイは確認出来ませんでした。しかし、時刻表示だけ、NHKは4月30日の放送では1秒遅れでしたが、5月1日の放送では同時刻に時刻が切り替わっていたことを確認しています。※NTPで時刻合わせしたコンピュータとの比較 地上デジタル放送になった当初は地デジだと時刻表示が遅れるという感じでしたが、地デジだけになってエンコード・デコードを考慮した時刻送出にしているように見えます。

記載した項目については、上記すべてを勘案しても所作の最中と考えられるため、思い切って書いても事実誤認でない範疇と判断し、今回は果断ぎみに秒まで記載しています。

本稿自体が、出来事が何時起きたかを判断する史料となるよう、書き残すものであります。

そんなわけで、何時何分までは新聞メディアでどんどん蓄積がなされていくのですが、やはり何秒までは技術の変転、そして映像メディアがアーカイブを徹底的にサボっていることもありかなり困難な事項となっていることは書き残しておきます。

なお、「完全近現代史年表」のバージョンについての考え方は、とりあえず「完全戦国年表」Ver.3までと同じとしました。項目追加・修正・更新については小数点以下1増分としています。今後は改善の余地があるかもしれません。Ver.4.02.03みたいな書き方もありかな、と思います。

「Ver.1.05」となっているのは2項目変更・追加を行ったことによります。

平成改元について、「完全近現代史年表」についてはスマートフォン対応のため改元実態にかかわらず立年改元表記としていましたが、西暦変更無しで元号だけ追加しても見え方がそこまで違和感ないと判断しましたので、「完全近現代史年表」については改元時基準に記述を変更しています(5月1日更新のVer.1.03より)。大正改元については即日改元(布告した日に遡っての改元)のようなのでそのままとしています。

いろいろ追加で近現代史通史本に目を通してもあまり項目追加はないかと考えていたのですが、ジョン・ダワ—『敗北を抱きしめて』に目を通して1945年11月4日の出来事をどうしても入れたい思いが出たのでこのタイミングではありますが追加しています。

今後、項目増減があったときにどこまでログを残すかは検討課題です。こう検討課題ばかり増えていくわけですが、それが現代社会なんだなあと思います。


令和改元に伴う更新について

「完全近現代史年表」はMerkmark Timelinesの中で唯一、現在進行形の時代を取り扱う年表を有するサイトとなります(2019年4月時点)。今回、次代の天皇陛下ご即位については項目追加を行う予定です。

リアルタイムなので、しっかり5月1日に追記するのが筋なのですが……更新は5月2日になるかと考えています。「完全近現代史年表」のコンセプトとしては日時分(秒も)記載というのがポリシーのため、即位の礼にあたりどの瞬間を採用するのが妥当かは考慮しなければなりません。翌日普段は買うことが無い新聞を各紙購入して検討することになるかと思います(ウェブサイトも利用すると思います)。

……最初は退位については追加しないでもと思いましたが、憲政史上はじめて、退位され上皇陛下となられることを踏まえ、こちらも追加することとしました。こちらは5月1日の更新となる予定。2019年4月30日の出来事のため、元号が平成の日付の事項となります。よって「令和」が出てくるのは5月2日の更新が最初となります。


「完全近現代史年表」を読むと、平成の項目が少ないなあと感じます。すべての出来事が物心ついた時代のため、別して日本の出来事は過小評価しがちです。55年体制の崩壊が入っているのに民主党政権の誕生だか郵政解散だとか入っていても良さそうではありますが……

唯一、ニューヨークでの同時多発テロだけは事件発生後すぐ追加項目だと考えました。正直、ハイジャックした飛行機で特攻かけるという行為がショックだったのです。地下鉄サリン事件が入っているのは、都会での化学テロという面を重く見ているためです。

自然災害は福島原発事故があるだけで、東日本大震災すら入れていない。これは、他の年表において関東大震災と慶長地震しか入れていないことも念頭にあるんですよね。

と、既に立項されている事件はそれなりに重大なのだけども、やはり過小評価しすぎなんだと思います。仕方ない、という思いがある一方で、もっと若い世代、とくに21世紀生まれの世代からすると、生まれる5,10,20年前の出来事は歴史でしか知り得ない訳で、自らが生まれるまでの時代のストーリというものがもっとあってしかるべきなんだと考えます。

平成は災害こそ続きましたが、日本において対外戦争がなかった時代であったことは確かです。一方で、世界では細かい戦争が断続的に続いていることは留意しなければなりません。日本をめぐる国際関係というのも、国内問題としての観点と、どうにもしがたい国際問題としての観点から注意を払う必要もあります。残念ながら未来に下るほど、過去のしがらみを多数受けて制約されるのだよな、と「完全戦国年表」と「完全幕末年表」を対に読んで思います。

「みんな仲良く」なんて無理に決まってる。そうなのですが、無理に決まってるからこそ初等教育ではお題目として伝えなければならないのかなと考えます。歴史をめぐる状況も風雲急ですが、平成に生まれた完全年表シリーズも令和の時代も楽しさ追求が出来れば良いと存じます。引き続き皆様宜しくお願いいたします。